父の検査結果が出るまで

本当に落ち着かない日々で 、一刻も早くまた実家に行って 傍で話を聞いてあげたい

姿を見たい 、、そんな葛藤で過ごしてました悲しい

子供の春休みが終わって

娘の入園式を迎えて、、とバタバタな中で

ふと蘇る不安。。

また日常が始まったのに 心の中で大きく占めてるのは 父の今後の事。父は当時69歳

まだまだ元気に孫の傍で笑っていてほしいし

弱っていく姿を想像するなんてこわすぎる!

嫌だ!と思ってましたえーん


癌とはまだ確定したわけじゃないけど

お医者様の見解で ほぼそうであろうと言われていたなら そうなんだろうなと受け入れるしかなかったので 結果の日まで それはそれはマイナスなことばかり考えていたと思います。

それからしばらくして

後にお世話になる近くの総合病院で父は

結果を聞かされることになりました真顔

父は元々メンタルも強い方ではないし

些細なことで どこか悪いのかも?とか気にしてる感じの性格なのだけど

いざほんとにそうなのか?ってなると

怖くて自分から検査できないようなタイプでした。だからかかりつけ医の先生がすすめてくれて

見つけてくれて 本当にありがとうございましたと今でも思います。


父は、ネットとかで色々調べたりするタイプでもないから そこは良かったけど

代わりにわたしが 日々色々検索しまくりました悲しい精神的に相当やられてたと思います、、わたしも。


大腸癌 大きさ 上行結腸 ステージ 余命 とか

あの時は どんな些細なこと、情報でもと思って

必死に検索してました真顔

怖いことは 見ないふりしながら、、笑い泣き


そしていい情報だけを父母へと伝授


あとはここの ブログなどを読み漁って

同じような人たちの経過を見ながら

自分と置き換えたり、、、

こんなこともあるんだよ!!だから大丈夫だよ!!

とか励ましたり、、この時点でまだ何も確定してないのに真顔


正直 わたしは自分の家庭があるのだから

そっちを優先にしないと!!と思いながら

毎日寝る間も惜しんで 調べたりしてました泣き笑い



続く

ブログ再開して
書くことが多すぎて 長々書いてしまいました。
自分用の記録として書いてるとか言いながら
ちゃっかり自己紹介みたいなことまで書いてたりしてる笑


誰かどなたかおひとりでも読んでくれてる方がいるていで 書いてますキメてる


というのも 今後 また最近巻き起こった出来事を書いていくにつれて

過去のこともこれからのことも、どこかで誰かの情報のひとつとして役立ったり

逆に どなたかからの情報や イイネとか笑

あったりしたらありがたいなと思いながら

書くことにもしました泣き笑い


わたしは普段 インスタやTwitterもしてます

だけど そこには自分の感情や

日常のリアルな話はあまり載せてません。

自己満の推し活や くだらないストーリーズで

なんとなく続けているだけの 

閲覧専用とも言えるものだったので


ここのブログでは 家族のこととか

自分のこととか日常を書いて行けたらいいかなと思って また始めてみてるのでありますニコニコ

続くかわからないけど真顔



次はまた

父のことについて書きます<(_ _*)>

わたしが数年前からマイペースに書いていたブログを また再開しようと思ったきっかけは

子供たちがある程度成長して

自分の時間が少しずつ増え 

仕事も、パートだけど それなりに日々忙しく

普通の暮らしを続けてきたまま

前回最後のブログから 数年経ちました。。ニコニコ

というところで またいろいろと変化があったので

自分の記録用としても

少しずつ書いていこうかなと、、そしてまた

数年後読み返して

こんなことがあったねと 笑いながら懐かしく読めるようにと

そんな気持ちで再開しようかなと

マイペースでだけど 書いてみようかなと思った次第でにっこり


前回最後のブログがこちら⬇




⬆️このブログで終わってから数年の空白がありますが

この後 お陰様で弟は今も健在ですウインク

後遺症は未だ 少しあるようだけど

普通に暮らしてますニコニコ


…さて、、

この時 事故の連絡を受け

病院に到着したところでわたしの記録✏️は途絶えてましたが、

うっすらした記憶でしかあの時のことは思い出せないけど、父とロビーで待っていたところ

処置室からストレッチャーに乗った

血だらけで包帯ギブス??など全身固定された、

意識はあるけどおかしなテンションの弟を

目の当たりにしたのでした。

声を掛けたら

おお!!親父?!

姉ちゃん?! ごめんごめん!!よく来てくれた!!ありがとねぇーーーっ!!


大丈夫?!

という呼びかけには

全然!気持ちいいぃーー!

あははは!!みたいな、、普段ならそんなテンションには決してならない弟が、、、


かと思えば、そのあと病室に移された弟に話しかけようとしたら、 なにか天井に向け手を掲げてぼーっと1点見つめた弟が、、、

そんな状況だったと思います。


頭打っておかしくなってしまったのかガーン

不安になったけど

後から聞いたら 事故の衝撃と痛みを和らげるため

一時的に

相当強めの痛み止めを入れていたので

ハイになっていたようです。

なにはともあれ意識がしっかりしていて

ほんとに安心したことを覚えてます悲しい


結局この事故では、大腿骨の粉砕骨折、その骨折により臀部もかなりの損傷で 肛門あたりの裂傷も酷く、このままでは便による感染症を起こし

それで死に至る場合もある、

命に関わるのがそちらの方がリスクが大きいので

、大腿骨の手術よりも 早急に 肛門を閉じて一時的に人工肛門にする手術を行いますというような説明を医師から受けました。後に弟は

半年間ほど人工肛門になりました。

人工肛門を外して元に戻す手術の際も

そのあと術後の経過が思わしくなく 緊急で再度手術になったこともありました。

そんなわけで


手術がいくつも続いてたので入院も相当長く、、

最初にお世話になった大学病院は 実家からも遠い所だったので

母と私とで交代しながら 弟を見舞う日々が始まったのでした。


そして そのことと同時期に

父自身の体調にも気がかりなことがありました。


父は元々糖尿持ちで定期的に病院で血液検査をしていたのだけど、半年ほど前から 貧血の数値に異常が見られていました。貧血??男で??

と 、知識がない私はその時は特に大きく気にすることもなく、父も

自覚症状は特に感じなかったみたいなので

そのまま経過を見ていたようです。

だけど わたしが実家に帰り、久しぶりに父を見た日

一瞬 ん??と思った時がありました。

その違和感は

今思えば 父の顔色と疲れたような顔つき、、

なんとなくおかしいな??という感じの

虫の知らせ?のような不思議な

雰囲気でした。(弟の事故が起こる前)

それからも貧血が改善されないので

いよいよ 本格的に見てもらうことにしました。


まずは1番気にしていた胃カメラ、、

結果は 食道にも胃にもなにもなく 問題なし

それから、ならば大腸の内視鏡をと、、勧められ 受けてみたところ

上行結腸のあたりに 腫瘍があったそうです。

その時点で医師から おそらくこれは悪性のもの

うちでは手術できないので どこか希望の病院あるかと聞かれ 家から通えるところにある

総合病院に紹介状を書いてもらいました。


この話を聞いたのは弟の事故から

すぐでした。父からの電話で

大腸の検査したら おそらく癌ですって言われた、、と

連絡があった時は

弟の事故の1報を聞いた時よりもさらに

ズドーーーンと 何かを落とされたような衝撃と

冷や汗と焦りと、、なんかよくわからない感情とでぐしゃぐしゃになりました。

根拠もないけど、癌だなんて 家とは無縁だとばかり思っていたし、まさかこんな衝撃的なことが続けて起きるなんて、、

あの時のわたしには

想像もできてなかったし 

精神的にも相当きつい時期でした。

子供にもまだまだ手がかかるけど

そろそろパート探してみようかな、、と思っていた

1番下の子が幼稚園に上がるタイミングでの出来事でした(今はその子も今年11歳)


あ、、話が前後しますが改めて、、

わたしは今40代(一応前半)の主婦真顔

夫は同い歳で 会社員真顔

子供が3人 (今年で17.15.11歳)

男、男、女の3兄妹ですニコ爆笑ニコニコ


わたし自身は

父、母、弟がいます。


長くなりましたので

過去に戻り 記憶で記録してる続き✍🏻はまた次にニコニコ