このブログは過去を遡って書いてますニコニコ


記憶を呼び戻して あの時はああだったなと冷静に

また思い出せる気持ちが今あるので

書いてます指差し

なので、時系列が狂うこともあるかもしれませんが

今現在の流れに追いつくまでは

なんとなくの記憶と その時の感情を思い出しながら綴っていますので

読みたいなと思う方だけ 時間潰す感じに読んでってくださいなにっこり


言うても、あんまりブログのシステムとか

昔からよくわかってないし ほんとに自己満ブログなだけですが泣き笑い



----父の 癌が他の臓器へ転移の有無の結果がわかる日

それはそれはもう朝から

胃がキリキリ というか ズンズンというか

心臓も持つ気がしないような、、


たしかゴールデンウィークが始まる前の週頃だったかな、、

午後だったかと真顔


子供たちは学校や幼稚園に行ってて居なかった記憶あり。。


わたしはちょうど買い出しかなにかに行こうと玄関にいた時でした。

母から電話が鳴りました📞不安

心臓バクバクで 出ました。


はいはい(冷静を装う)


母は

開口一番

さっき帰ってきたよ!

お父さん、他に転移なかったよ!!


その言葉を聞けた時一瞬で

 玄関で泣き崩れましたえーん


もちろん癌という現実は不安も大きいけど

他の臓器に飛んでないと聞いて

それだけで本当に救われたのですえーんえーん


よかった

よかったえーんえーんえーんえーんえーんえーん

ひとまずよかったえーんえーんえーんえーんえーんえーんえーん


その返答に、釣られて母も泣いてました

というか多分今まで感情出すのを我慢してたんだと思います。

母も泣きながら

大丈夫! お父さんまだまだ生きられるよ!!!


そのあと電話を父に代わって貰い結果を 冷静に聞けました花


とりあえず今の段階では転移もなく 腫瘍の周りのリンパもCT上では大丈夫かな、、っていう感じだから

手術で取りましょう!

ステージは手術後の病理検査で決まるけど

おそらく今のところステージ2か3の間ということで 、、


うちは大腸癌の手術が得意なんです。

腹腔鏡でもできるのだけど、、、と担当の外科の先生が言ってくれたみたいですが、父は食い気味に

いや、ばっさり開腹で切ってくださいと応えたらしいです笑い泣き



わたしがネットで調べていた

大腸癌 余命 とか 大腸癌 ステージ とか

ほんとにその確率はわからないけど

1番触れるのが怖かったステージ、、


とにかく 遠隔転移がないという報告が聞けたあの日に 少しだけ心がふと軽くなったのは

はっきり覚えてますおねがい

確実に家族で前向きになったタイミングでした!!


……弟のことに少し戻りますが

この時弟はまだ入院中でした。


最初に怪我の治療をしてくれた大学病院で

父が大腸癌であることを知らせました


あの日の記憶はそんなに残ってません。

でも たしか父とお見舞いに行って 父が先に病室を出たあとに 帰り際わたしから伝えたような気がしますショボーン


始めは弟も冷静でした

でも メンタル的には自分のことでも不安定だったので 父の病気のことまで受け入れるキャパは多分無かったと思いますショボーン


話を続けようとした時に


もういいっ!わかった!!!


という感じで少し取り乱した言い方をして

終わってしまったと思います悲しい



次回から父の手術までのおはなしになります✍🏻

悪性かどうかの検査結果がはっきりとわかる日

父は 母と一緒に病院へ行きました泣くうさぎ


わたしは こっちでの生活を優先にしなさいと言われてたので

とにかくその日は 心落ち着かせるように必死に

家事などをこなしてたと思います、、

というか、ほんとは一緒に聞きに行くべきなのかもと思っていたけど

その場に居れる自信がなかったのかもしれませんえーんかといって考えないように過ごすなんてのも出来るわけなく、一日中ズーンとしてました。



とは言っても、内視鏡の時点でほぼ癌だと思うと言われていたので

実際 父から改めて聞いた時は

なんか 不思議な感覚、、決心する気持ちというか

吹っ切るしかないというか、、

電話口で


「やっぱりね、癌だってさ」


父から聞かされたときは 

うんうん、そうだよね、もう言われてたしね

覚悟出来てたよね、、

やるしかないよ、、


こんな感じで応えたような気がしますショボーン


でも電話を終えたあと、

実際、癌という言葉を身近で聞くのが

とにかく 不思議な感じで ほんとにうちの家族のことなの??


癌って ことはあとどれ位でお父さん居なくなっちゃうの?

と 不安がまたまた増してきました。


それから入院まで、詳しい検査が始まったと記憶してますうさぎ


今思えば1番怖かったのは

この時の告知ではなくて、その後の

転移の有無を調べられた時です。


造影剤を使ってのCTで 肝臓や肺への転移があるかどうかの結果を待っている時

その時が 1番押しつぶされそうになってました。


それと同時に わたしもそれなりに大腸癌について色々調べ始めたのもあり、少しずつ知識を叩き込んで行きましたキメてる

もちろん素人なので 細かいことは全く無知だけど

大腸癌にも種類があって、

直腸、S字結腸、上行結腸、横行結腸、下行結腸、盲腸、、

、、いろんな部分があること

部位によって転移しやすかったり、血便に気づきにくかったり、、


当初、うちの父の場合は腸の右側、いわゆる上行結腸の上の方に3~4cm程の腫瘍があると言われたと

思います悲しい


そこでわたしの中で繋がったのが、血便のこと、、

父は貧血がありました。自覚症状がないにも関わらず 数値にはしっかり現れてたので

必ず身体の中で出血していたことになりますネガティブ

おそらくその腫瘍からだったのは間違いなくて、、けど

父は目に見える血便が無かったと言いました。


というか気づかなったんだと思います。

それは、直腸やS字結腸と違って、上行結腸の場合、鮮血で便に混ざることが

あまりないからということ、、

便になって出てくるまでに

鮮血から変色してたんだと思いました凝視

だからきっと黒っぽい色の便は絶対に出ていたんだと後から思います(父自身も)

鮮血であればきっと父もその時すぐに異変に気づいて

受診する覚悟ができてたと思います。

もともと便も緩い体質で、便秘にもならなかったから 余計に気づかなかったんだろなと思ってますキョロキョロ


さてさて、、

わたしよりも父のが到底辛いのはわかってはいたけど

でもわたしも根はほんとに弱虫なので

多分 わたしも、この時ご飯もあんまり食べる気にならないし、 自分が好きなものや事も

全くと言っていいほど欲しなくなりました。

全てにおいて 雲がかかっている感覚で

こっちでの生活で みんなで笑っている時も

それすら 申し訳ないような、、

お父さんは辛いのに、、こっちは楽しんでるなんて、、みたいな 悲観的なオーラを 夫にも出し続けていたと思いますネガティブまさに負のオーラ真顔

この時のわたしは 会う人会う人に 痩せた?疲れてる??

大丈夫??と 心配されていました泣き笑い


そんな夫は わたしとは正反対

常にパワフルに動いてますスター

こういう事があっても 絶対に一緒に落ち込むことはありません。


ひたすら 明るい感じで接してきます。

だからそれに救われるような、、けど、最高潮に落ちこんでるときには、

お前にうちの家族のことの何がわかるんだ!!

って思ってしまったことも多々ありました泣


そんなこんなしてるうちに

転移の有無を聞かされる運命の日が来たのでありますちょっと不満


続く。。


わたし 過去のブログに

こんな感情で 書いてたんだ、、

きっとこの時 弟のことや父のことで

たくさん悩み始めて でもぶつけるところがなくて

そんな中ブログを始めたら なにか変わるかなと思って、、

だけど その時は ブログを書くまでの余裕がなくて

それで途中で辞めたんだ、、

そうだった、、