映画 『キューポラのある街』 | そういえば・・・

そういえば・・・

橋本商工株式会社の社長のブログです

『キューポラのある街』 (昭和37年公開)はいわずと

知れた、昭和の名作である。健気な吉永小百合

(石黒ジュン役)と必ずセットであげられる作品。

 

 

貧困、進学、性、在日朝鮮人、差別、オートメ化と

職人の凋落など、テーマが盛りだくさん過ぎの

きらいがあるが、そういうゴチャゴチャをすべて

吹き飛ばすのが元気一杯な中学生を演じる

吉永小百合である。

 

学業、スポーツどちらも優秀なジュン 志望は埼玉県立第一高校

 

女学生達の「さいなら」「バイ」と、別れ際の挨拶が

すこぶるシンプルである。

「さようなら」ではなく、「さいなら」。

この辺のセリフが(映画の描く)陰気で絶望的な

世界に軽やかな印象を与えている。

 

また在日朝鮮人の子供の発するホクセン(北鮮)、

ナンセン(南鮮)という言い方から見ても、北重視

を感じる。当時の時世に適った価値観だった

のだろうが、在日朝鮮人の祖国帰還運動も

肯定的に描かれている。

 

北朝鮮に旅立つ友に別れの挨拶

 

貧困と無学がもたらすどん底の生活。

親の教育への無理解と無関心が貧困の

再生に繋がる、負のスパイラル。

 

「ダボハゼの子はダボハゼ。中学卒業したら

鋳物工場で働けばいいんだ」という鋳物職人の

父親の言葉が子供たちを傷つける。ショックを

受けたジュンは折角の修学旅行をとりやめてしまう。

 

ここでフト、思い出すのは、むかしテレビドラマで

やっていた、北野武の自叙伝「たけしくん、ハイ!」

である。

時代背景はほぼ同じで、家庭は同様に決して

豊かと言えない。(武の)父親の菊次郎はペンキ

職人で無学、乱暴でメチャクチャというところ

までは「キューポラ」と同じであるが、こちらの

家庭は母親がシッカリ者で、教育の価値を

わかっていた。ここが分かれ目。

 

仕事にあぶれ、破れかぶれの父に振り回される家族

 

裕福な友人の家の2階からキューポラのある街・川口を見るジュン

何を思う

 

 

セリフがいくつか処理され、ところどころ何を言って

いるのかわからない箇所があったのは残念でした。

 

最後にキューポラとは煙突の事ではありません。

煙突の下にあるシャフト型溶解炉のことです。

が、キューポラにはきっと煙突が付き物なのでしょう。