広島に宿泊した後、翌日は呉へ向かう。
呉は旧日本海軍の一大根拠地であった。呉の町は
海軍さんを相手にした商売で大いに栄えた。
対岸の江田島には海軍兵学校、海軍士官の養成所が
あり、それは現在、海上自衛隊に引き継がれている。
そして呉海軍工廠が生み出したのが戦艦大和である。
世界最大の主砲・46センチ砲 9門を有する、日本海軍の
最大のイコン(icon、アイコン)。
あまりに製造に予算がかかりすぎ、簡単に沈まれては
困る兵器であったため、太平洋戦争の初盤では主要な
作戦への投入が少なかったのが残念であった。
日本劣勢の中、沖縄防衛のため、起死回生の一手として
沖縄特攻作戦(天一号作戦)で出撃したものの、坊ノ岬沖に
アメリカ艦載機の猛攻により沈められてしまった。
ということで、今回の出張では『大和ミュージアム』見学が
組み込まれていました。大和は1/10のレプリカで復活。
わたしは今回の訪問が2回目です。
艦首から写真を撮ると逆光になる。建屋設計の時にこのあたりは検討され
なかったのか。建物の設計は難しいですね。
吉田満の 『戦艦大和ノ最期』 を同行者たちがあまり知らないこと
に驚いた。吉田氏は戦艦大和に乗艦、沖縄特攻戦を経験し、
沈んだ大和から運よく救助され、戦後は日銀マンとして人生を
歩まれた。彼の回想録が小説 『戦艦大和ノ最期』である。
このなかの臼淵 磐大尉(同作戦で戦死)の言葉を引用する。
『進歩のない者は決して勝たない 負けて目覚める事が最上の
道だ 日本は進歩という事を軽んじ過ぎた 私的な潔癖や徳義に
拘って、本当の進歩を忘れてきた 敗れて目覚める、それ以外に
どうして日本が救われる 今目覚めずしていつ救われるか
俺たちはその先導になるのだ。 日本の新生に先駆けて散る。
まさに本望じゃあないか』