読書⑱ 『それでも、私はあきらめない』 黒田 福美著 | そういえば・・・

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橋本商工株式会社の社長のブログです

今日は朝から晩まで台風情報。大変です。

することがないのでブログ読書日記でも。

 

 

8/16に購入した『それでも、私はあきらめない』 (黒田福美著、WAC、926円+税)

を読了いたしました。この本は新聞か雑誌の書評で多分読んだかして、購入した

ものでした。

 

 

黒田福美氏はペ・ヨンジュン/チェ・ジウによる「冬のソナタ」放映から始まった

韓流ブームとは次元を異にする、筋金入りの元祖・韓国贔屓な女優だ。

本人は謙虚な方なので、〝わたしがわたしが”的なアピールをしないが

ちょっと韓国を知っている人では、親韓の先駆者であることは承知の事である。

 

 

そんな親韓派/知韓派の女優である黒田さんが、1991年7月にみた夢を頼りに

沖縄戦で戦死した、ある韓国出身のカミカゼ特攻隊兵士の霊を慰めるため、

鎮魂碑を韓国に制作し、設置しようとする。「夢に見た」ということだけで

この行動力はすごい。

当初は日韓どちらからも異論の出る話でもなく、順調に、しかし一方、徐々に

その規模が本人の(本来の)意図とは関わりなしに大きくなる。

登場する韓国人はイッチョ噛んで一儲け、というのがやたら多い。

 

やがて(市政の)政争に利用されたり、韓国人の反日運動家グループにより

頓挫していくさまをありのまま描写している。登場人物は実名という、

ノンフィクションだ。

 

 

読んでみて、考えさせられることだらけの本であった。

韓国の国家独立のアイデンティティーをどこに求めるか、それが日本人を悪者

にするというところに求めたところに原因がある、ということを著者は喝破する。

 

また巻末解説の黒田勝弘氏※(産経新聞 元ソウル支局長) もそのあたりを、

「(日韓併合から35年経過した、1945年には)ほぼ日本人になりかけた韓国人が、

突然の日本の敗戦で急ぎ韓国人に〝戻らなければ″ならなくなった。

そのために韓国人から日本人的なことを消し去らなければならなくなり、

日本的なことはすべて悪という、洗脳をせねならなくなった。逆説的に言うと、

そこまでしなければならないほど日本よる韓国(朝鮮)統治は実際的には

肯定的であった」と分析する。

 

※ 黒田福美氏と黒田勝弘氏は同姓なだけで、全くの他人

 

 

繰り返すが、『それでも~』は黒田福美氏が、韓国人なのに日本とともに闘い、

命を落とした若い韓国兵士の霊をせめて、日本名ではなく韓国名で、そして

日本ではなく故国で慰めたい、というだけの動機で行動を起こした。わたしも、

これのどこがいけないの?と思うのである。そして多くの韓国一般人もわれわれと

そんなに変わりなく、「日本の方にそんなことまでしていただいてありがとう」

なのだが、先鋭化している一部韓国人グループは、「日本に協力して死んだ

野郎は国賊だ」になってしまうのである。

 

 

本書では韓国人古老の男性からの意見が掲載されている。彼は日本軍に

すすんで協力した理由に、当時参政権もない代わりに徴兵もされない、

いわば二等市民であった韓国・朝鮮人の地位を上げたいばかりに自主的に

兵役に就いた。一歩間違えれば死ぬところであったが、終戦となり、その後

勃発した朝鮮戦争に韓国人として従軍し、今は国家功労者として平穏に

過ごしている。そんな彼が、自分自身と国賊扱いのカミカゼ韓国人にどれほどの

違いがあるのか、と韓国政府並びに韓国人を批判するさまは、韓国(朝鮮)

という国の矛盾を大いに指摘している。読みごたえのある箇所であった。

 

 

「韓国人たちは反日という柵の中に囲い込まれている羊の群れのようだと思う」

さすが韓国とのかかわりが30年以上の福田氏の見立ては正鵠を射ているように

思えてならない。また彼女は『帝国の慰安婦』(朴裕河パク・ユハ著、世宗大学 教授)

という書物が慰安婦女性を侮辱したとして、(反日)市民団体が訴訟を起こし、著者が

在宅起訴されるということを、韓国通であるからこそ憂慮している。

 

※ そういえば産経新聞のソウル支局長・加藤達也氏がセウォル号事件をめぐる記事がもとで

   在宅起訴、韓国からの出国禁止処分というのもあった。日本人には理解のできない措置であった。

 

言論の自由がない国は、意外と東アジアの〝ご近所″には多い。日本人に生まれて

ああよかったと思うべきか、そんなレベルで嘆息する読書であった。

また黒田福美さんが相当フトコロの広い方で、こんな(煮え湯を飲まされるような

ことをした)韓国ではあるが、それを許容し、日韓の相違を乗り越えて、お互いが

理解していくべきだ、と提言しているところが救いであった。