今週、得意先の名誉会長様が昨年叙勲され、その記念に東京のホテルで

盛大なパーティーを開催され、その会に参列させていただきました。

 

 

仕事一筋、鋳造のなかで難しいといわれた技術に挑戦し、それをものにし、

会社を業界最大手にまで育てられたこと、ひいては日本の産業の礎に

大いに貢献されたことなど、私には想像もつかないことですが、大変な

ご努力と研鑽に、業界団体などからの推薦があり、叙勲の栄に浴された

とのことです。

 

 

記念品の中に回顧録があるというので、帰りの電車の中で手に取って

みたらとても面白く、ついつい読み込んでしまいました。ご出身が静岡県

沼津市、そして進学された高校が静岡県東部を代表する名門県立高校で、

その高校を説明される個所で、著名な卒業生として懐かしい名前を

みつけました。

 

 

芹沢 光治良。

 

 

せりざわ こうじろう、と読みます。

 

 

思い返せば中二の時、国語教師のN先生が「新潮文庫の100冊」の

解説目録を生徒全員に配ってくれ、さらに氏が読まれた中で、面白い

と思われた小説類をガリ版(謄写版)で刷って生徒に配ってくれました。

 

 

それまで、読書の習慣が全くなかった私。本の選び方もわからない。

しかしこれらを指針に、ひとり 「本の海」 へ漕ぎ出すことができました。

好奇心と興味のおもむくまま、〝ガイド″を頼りに読書人生をスタートさせ

たものです。

 

 

そんな頃、芹沢の『巴里に死す』を読みました。記憶も朧気になってしまい

ましたが、N先生のsuggestionがあったと記憶しています。当時はやたら

感動したのを覚えています。文章が上手いとか、そんなことは当然

わからない子供でしたが、ストーリーの美しさぐらいは理解できました。

 

(新潮文庫 37年前たったの220円でした)

 

『巴里に死す』は日本が太平洋戦争真っ只中の昭和18年に刊行される。

物資の乏しい、また統制の厳しかった時代のこと、「戦力増強に資しない」

という理由により、軍の検閲部から睨まれ、たびたび連載中止の勧告を

受けながらも、部数を絞って刊行にこぎつけた作品。

(その時、連載中止勧告の矢面に立って尽力された編集長氏は連載終了後、

まもなく招集され、沖縄で戦死。芹沢氏はそのことを自身の責任と感じている)

 

 

「ブルジョワ」ということが「反戦」と同様、厳しく指弾された時代でしたが、

戦後すぐに日本のみならず、小説の舞台となったフランスでも翻訳され、

彼の国では1年間に10万部のベストセラーなったそうです。

 

 

不治の病・結核を患い、死期を悟った母が、生まれたばかりの娘の為に、

自身の半生とわが子への慈しみと愛を綴ったノートを夫に託す。

 

(復刻本 1800円+tax 写真付き、参考資料多数)

 

格調の高い中に、明瞭な文章。読みにくい、ということがない名作。

芹沢 光治良という作家の名前すら、最近ではあまり聞かれなく

なりましたが、お勧めの本です。