サティの神秘性については、この曲を聴くとよく判ります。
楽譜を見ると更によく判ります。
この辺りについては、
にかなり書いたので、今回は、その楽曲の背景などをwikipediaから、まとめてみようと思います。
サティの初期の芸術は、ローズ + クロワ運動からの離脱後も神秘的な関心の追求を続けました。クロード・ドビュッシーと共に、オカルティストのジュール・ボワの影響を受け、ボワの著作や劇に引き込まれました。サティはボワの戯曲『サタンの女』に音楽を提供し、これが彼ら唯一のクリエイティブなコラボレーションとなりました。ボワの作品はキリストの使命をテーマにし、聖母マリアをエジプトの女神イシスに置き換えるプロットを含んでいます。
サティの神秘主義期の前奏曲は、ペラダンの劇における静的な音響装飾のアプローチを継承しており、18の統合された短いモチーフから構成されています。演奏指示はピアニストの感情に焦点を当て、宗教的テーマに関する彼の他の作品よりも暖かく魅力的です。
『英雄伝説の門』の劇は、サティの楽譜とアントワーヌ・ド・ラ・ロシュフコー伯爵の挿絵とともに、1894年に出版されましたが、当時の評論はボワの劇に焦点を当て、音楽は無視されました。
作曲家と劇場監督の関係は緊張しており、サティの皮肉な著作の対象となったリュニエ=ポーはすぐに、メトロポリタン芸術教会の大司祭に扮したサティの論争的な著作のお気に入りの標的となりました。
『Messe des pauvres』の進行中の作業を除いて、前奏曲はサティが1894年に作曲した唯一の音楽でした。
前奏曲は1911年に独立音楽協会によって再発見され、新たな関心を集めました。アレクシス・ロラン=マニュエルがオーケストレーションを提供し、1912年に初演されました。サティはこのバージョンを「象牙で作られた小さな前奏曲」と形容しました。
こういったエピソードは、サティが感情豊かな人間臭い人物であると、改めて認識します。サティの曲だけを着ていると、その神秘性ばかりに目が行きますが、彼も一人の人間であると感じます。
それでも、彼は夢の中で生きる人であったと思います。
今回は『天国の英雄的な門への前奏曲』のピアノバージョン、即ちサティの原曲をお送りするわけですが、今後、Brass (金管楽器アンサンブル)と管弦楽曲への編曲版をお送りする予定です。
少し難解な曲ですが、動画に表示されるコメントも参考にお聴きください。
ウクライナ対ロシアの戦争が終わるまで、掲載を続けていきたいと思います。
平和への祈り「鳥の歌」
「私の生まれ故郷カタルーニャの鳥は peace、peace と鳴くのです」(カザルス)
ウクライナ民謡
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