信 | すぱイしー ているず

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支倉凍砂の日常と、とりとめもない思考を書き記すブログ。

人が言うと書いて、信じる。

人の言葉、で信かもしれないですけど。


最近信じられないことが多いので、ヒュームを読んでいます。

ヒュームです。

その後にはポパーが控えています。


それっぽいことを言いたいがために岩波文庫の青帯を読んでいるような人間(ほかならぬ私のことです!)からすると、読んでもあんまり役に立たなそうな二人です。

それっぽいことを言うためには、もっとこう、ヘーゲルとか読んだほうがいいと思うんですけど、この前衝撃的な事実を知りまして、ヘーゲルの『精神現象学』とか『法哲学講義』とか挫折した身としては、ちょっと嬉しかったです。


チューリングテストというものがあります。

計算機に関する理論なんかをいろいろ書いたチューリングさんの考えたテストです。


それは簡単に言うと、人と機械がチャットをして、参加者の人が、機械と会話してるのではなくて人間と会話していると誤認すれば、その機械には知性がある、と認めるテストです。


このテストを逆にすると、こうも言えます。




機械にも書ける文章を書く奴には、知性がないよね。





世の中、私などとは比べ物にならないくらい底意地の悪い人がいて、このチューリングテストの逆を行うプログラムを書いている人がいるらしいです。

特定のそれっぽい単語を登録して、それっぽいつなぎ方をして文章を作るのです。


たとえば、


「印象派によるところの啓蒙的ポストモダニズム的哲学は、意識としての論理に多大なる影響を与える。この極めて逆理的な意識には、例外的にではあるが反啓蒙的と言えるところもある。以上から、後期ポストモダニズム的哲学を通じて表象されるところの言語と認識には、必然的に観念的曖昧さが宿る。」


なんていう文章をどんどん生成するらしいのです。

ちなみにこの文章は私が今適当にぱぱっと作りました。なんか意味が通じてそうで、それっぽいでしょう?


ヘーゲルとかみたいな、五里霧中、という言葉がこれ以上ないくらいに相応しい意味不明な文章を書き散らす哲学者は標的になりやすいらしくて、まったく意味不明だけれどもどう見てもヘーゲルの文章、みたいな物を作り出すプログラムがいくつもあるらしいです。


つまり、ヘーゲルには知性が……。




で、ヒューム先生とポパー先生読んだら、多少はそんな罠に落ちるのが避けられるかな、と思いました。


問題点は、この二人の本を読んでその内容を掲げて生きていると、友達が減りそうなことですよね。

まあ、いない友達は減りようがないですからいいですけどね!(´ω`)



精神現象学
人間知性研究―付・人間本性論摘要
実在論と科学の目的 上