こんにちは。今日は祝日―天皇誕生日、
そして富士山(ふ・じ・さん)の日ですね。

先ほど、
天皇陛下62歳のお誕生日会見を



拝聴させていただき、感慨深い気持ちになりました。

我が国の象徴である陛下のお姿と言葉を、
ネット越しにこんなに気軽に観ることが出来る時代って、
なんだかすごいことだなぁと思いましたし、

お話されている内容が、
まさしく今の時代を反映したものであることに、
改めて今を生きるとはどういうことかを
考えさせられました。

とりわけ、最後の方で語られていた、
異なる立場や考え方の人との
付き合い方(意見の述べ方)は、
想像力の大切さと共に、
「寛容な社会」への希求を述べられておりました。
(私の言葉になっているので、
 正しくは陛下のお言葉を直接聞かれてくださいね)

そのお言葉を聞いた後、しばし言葉が出ず…、
胸中深く感じ入った次第です。

しばらくして浮かんできた言葉があります。

それは「和談」という言の葉。

先日、白鳥哲監督より教えていただきました。

和談とは、私たち大和の人々が古来よりやってきた、
いさかいなどを静める方法なのだそう。

そうした「和談」は、同じ方向を向いて、歩み寄り、
互いに高め合い、互恵を目指す話し合いのことをさします。

一方、今の時代の主流である「討論」は、
自分の意見をぶつけ合い、
互いに歩み寄ろうとはしないという
話し合いの手法ともいえます。
正しいか、正しくないか。
どちらが勝つか負けるか、
といったニュアンスを含みますよね。

とはいえ、私たちの語る日本語は、
もともと調和の言語ですので(詳細はまたいつか)、
そもそも「戦うため」にはできていないのです。
なので、ディベートが苦手、というのも
言語構造自体がそうなので無理からぬことかもしれません。

和談の相互関係は、歩み寄って、同じ方向を向くことです。

立場としては互恵的であり共同としての在り方。
そして気づきを出し合い、それぞれの長所や
得るべきものにフォーカスします。

そのプロセスを通して、互いに、
認識の広がりや発見、成長を経て、
それぞれの尊厳とエンパワーメントが増し、
さらに良きものを創ろうとするのが和談です。

たとえていうなら、
討論は川を挟んで、持論をぶつけ戦っているイメージで、
和談は、共に川の中に入って、
川上へと昇っていこうと意図するイメージでしょうか。

そういえば、和談という言葉は知らなかったのですが、
かつて、息子が小学生の時に、
担任の先生と保護者たちの間に、
トラブルが起こったことがありました。

子どもをめぐる対応の仕方についてです。

母親たちは怒り、事態はどんどん悪化して、
先生が授業をボイコットし、校長をも巻き込んで、
大変なことになりました。

ただその時、はっきりと見えていたことが一つありました。
それは学校、そして保護者共に共通して見えているのは、
「子どもの幸せ」であるということだったのです。

それで、改めて、
いかにして子どもたちが幸せで楽しく生きられるか、
を軸に話し合いを持つこととなりました。

それぞれの意見を出し合いながら、
最適解を見つけていく作業…で、結局、
雨降って地固まるとなり、さらに良きものとなりました。

確かにその時に必要だったのは、
相手のことを思い図り、思いやる
「想像力」の活用でした。

寛容なる社会とは、
高次の精神性をもつ成熟した社会なのだと思います。

私たち日本人は縄文時代より、
脈々と受け継がれた「和談」の伝統を継承する、
大いなる和らぎの民でもあります。

天皇誕生日の今日、
そんなことを思いながら、
青い空を見つめ、
空の明るさの中にある、
光のあたたかさに胸がいっぱいになっています。

どうぞ今日も素敵な日を。

PS
白鳥監督と私、はせくらで、
魂の約束と目覚めのための、
講演&ワークを、3月5日(土)に開催致します。
オンラインセミナーなので、
3月いっぱいまでご視聴できる講座です。




テーマは、
「すべては導かれている
―意識の進化と魂の約束」
です。
ぜひ、ご参加下さいませ。