個展が終わるやいなや出かけた、
富士山立志の旅。
無事、終了し、久々に
家のパソコンの前で座っています。

旅では、38名の仲間と共に、
富士山麓をぐるりと一周巡るような行程で、
一泊二日の大人の修学旅行をしてきました。

あいにく両日とも雨マークで、
二日目は雷予報までついていました。
…あちゃ。

でも、ま、なんとかなるっしょ、
(と、なぜか地元―北海道弁)
で、構えていると、
やっぱりなんとかなって(笑)、傘の出番なし。
二日目は、雨傘ではなく、
日傘として使っちゃったほどのピーカン青空。

なんとありがたいことでしょう。

今回の旅で面白かったのは、
参加された方の中に少なからず、
「パラレル体験」していた方がいらしたこと。
どんな感じかというと…、
(ここ最近聞いたパラレル体験もプラスしますね)

ある人は、乗っても乗っても、
目的地に着かないという体験をしていたり、
ある人は逆に、驚くほど速く目的地に着いていたとか、

他には、
・いつもの駅の出口を上がったはずなのに、
 違う出口の上にいた。

・車が突然びっくりするほど汚れていて、
 家族中で目撃したはずなのに、
 数日後、突然ピカピカの車に戻っていた。

・お金がない、でも必要だと思っていたら、
 ありえない場所から数万円が出てきた。

・いつも見ている東京タワーが、
 ニューヨークの摩天楼みたいになっていて、
 あまりにビックリして目を疑った。
 しばらくしてからみると、普通の東京タワーに
 もどっていた。

…などなど。
そんなお話を伺うことが
多くなってきたんですね。

量子力学的にひも解くと、
私たちは、非局在性である
遍満する量子の海から、
意識が選び取った波を粒にして、
現実として観ていること。

他の現実は、無いのではなく、
それは別時空のもう一つの(無数・多数の)現実として、
別時間軸では「ある」のだ、
ということが、

少しずつ体感を通して観えてくる、
そんなフェイズにはいったということなのかしらね。

でね、旅の話に戻ると、
当日の夜、皆で、

「晴れている方のパラレルを選んで、
 ちゃかーっと現わしちゃおうよ」

ということになって、
懇親会の後の皆、お酒が入っているような席で、
皆でイメージしたのですね。

で、そのまま私はお部屋に戻って就寝したのですが、
翌朝、目覚める直前に、夢うつつの中で、
黒くて大きな三角形が表われて、
野太い感じの声(バイブレーション)で明日
こうのたまっているのを感じたのでした。
それは…、

「思えばすでに、それはある」

その瞬間、
ハッとビックリして目覚めた私。

頭の中では、
なぜか、その言葉がずーっとこだましているんです。

思えばすでに、それはある。
思えばすでに、それはある。
思えばすでに、それはある…。

んん?…と思い、
辺りを見渡すと朝だったので、
眼をこすりながら、カーテンを開けたのです。

すると、黒くて大きな
三角のシルエットが飛び込んできました。

あれ、今、これ見た気がする…。

あっ、富士山だ。
声の主って、
もしかして富士山さん?

ま、いっか。

とにかく、晴れって、嬉しいし、
脳裏でこだまする響きも、心地いいしね。

そうして二日目の行程の一つとして、
前日行った、富士山本宮浅間大社の対角線上にある、
北口本宮富士浅間神社にいったのだけれど、
そこで、あれっ? という写真が撮れていましたよ。

私、あまり、不思議写真に興味がないのですが…、
純粋に面白かったのでシェア致しますね。
これ、なんなんだろうね?

浅間神社では、
38名の仲間で綴った「神様へのお便り」を抱いて、
祈願祭を執り行っていただきました。

その直後に撮れた写真でもあるので、
もしかしたら、カミサマのお返事だったのかなぁ、
なんて、勝手に想像して嬉しくなりましたよ。

帰りの新幹線では、また、
思えばすでに、それはある、
のコトダマが脳裏でリピートしていました。

うん、この言葉が指し示すパラレル時空を、
実際、この眼で観る「現実」となれるよう、

まこと真白に真っ直ぐな心をもって、
素直に明るく進んでいけるよう、
精進したいと改めて思いました。

どうぞ、今日も明日も、
いい日でありますように。

ではまたね。