5月29日は満月。
京都・鞍馬寺では、
五月満月祭(ウエサク祭)が開かれる。
私はまだ行ったことはないのだけれど、
鞍馬寺は、奥の院へと連なる、
独特な空気と気配が格別なので、
幾度となく訪れている。
鞍馬寺の信仰は、他のお寺と少し異なっていて、
宇宙生命・宇宙エネルギーに対し、それを尊店と仰ぎ、
信仰としている。
鞍馬寺のホームページを見るとこのように書いている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
鞍馬山の信仰は、宇宙の大霊であり大光明・大活動体である 「尊天」を本尊と仰いで信じ、「尊天」の心を我が心として 生きてゆくことで、尊天信仰と言います。
尊天とは、人間を 初め、この世に存在するすべてを生み出している宇宙生命・ 宇宙エネルギーです。
真理そのもので、神仏の区別を超えて ひとつの形に固定されず、しかも本質を保ちつつ、森羅万象 、日月星辰、あらゆる神あらゆる仏の相(すがた)となって 顕現します。
そのお働きは愛と光と力となってあらわれ、ま た月に代表される水の氣、太陽から放たれる氣、母なる大地 、地球の氣の三つの「氣(エネルギー)」にあらわし、それぞれを
月輪の精霊―愛=千手観世音菩薩
太陽の精霊―光=毘沙門天王
大地の霊王―力=護法魔王尊
のお姿であらわして、この三身を一体として「尊天」と称し ます。
それ故に「月のように美しく、太陽のように暖かく、 大地のように力強く」と祈り、 「すべては尊天にてまします」とお唱えするのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とのこと。
読み返すたびに、いつもどきっとする。
さて、そんな鞍馬寺での
五月満月祭に合わせて、
29日の夜は、月夜を愛でながら
瞑想をしようと思っている。
直観との対話では、
どうやら明日は、
さまざまなものの扉が開かれ、
意識(時空間)の隔たりが希薄になるらしいから。
つまり、意識を通して、
種々あるエネルギーフィールドや時空間を
旅することが出来るということだ。
ドキドキするなぁ(笑)。
明日(29日)の夜にむけて、
優しく、柔らかな「いい気分」を選択して、
過ごそう。
月のように美しく、
太陽のように暖かく、
大地のように力強く
今を、ここを、
十全に生きることを願いながら。
京都・鞍馬寺では、
五月満月祭(ウエサク祭)が開かれる。
私はまだ行ったことはないのだけれど、
鞍馬寺は、奥の院へと連なる、
独特な空気と気配が格別なので、
幾度となく訪れている。
鞍馬寺の信仰は、他のお寺と少し異なっていて、
宇宙生命・宇宙エネルギーに対し、それを尊店と仰ぎ、
信仰としている。
鞍馬寺のホームページを見るとこのように書いている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
鞍馬山の信仰は、宇宙の大霊であり大光明・大活動体である 「尊天」を本尊と仰いで信じ、「尊天」の心を我が心として 生きてゆくことで、尊天信仰と言います。
尊天とは、人間を 初め、この世に存在するすべてを生み出している宇宙生命・ 宇宙エネルギーです。
真理そのもので、神仏の区別を超えて ひとつの形に固定されず、しかも本質を保ちつつ、森羅万象 、日月星辰、あらゆる神あらゆる仏の相(すがた)となって 顕現します。
そのお働きは愛と光と力となってあらわれ、ま た月に代表される水の氣、太陽から放たれる氣、母なる大地 、地球の氣の三つの「氣(エネルギー)」にあらわし、それぞれを
月輪の精霊―愛=千手観世音菩薩
太陽の精霊―光=毘沙門天王
大地の霊王―力=護法魔王尊
のお姿であらわして、この三身を一体として「尊天」と称し ます。
それ故に「月のように美しく、太陽のように暖かく、 大地のように力強く」と祈り、 「すべては尊天にてまします」とお唱えするのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とのこと。
読み返すたびに、いつもどきっとする。
さて、そんな鞍馬寺での
五月満月祭に合わせて、
29日の夜は、月夜を愛でながら
瞑想をしようと思っている。
直観との対話では、
どうやら明日は、
さまざまなものの扉が開かれ、
意識(時空間)の隔たりが希薄になるらしいから。
つまり、意識を通して、
種々あるエネルギーフィールドや時空間を
旅することが出来るということだ。
ドキドキするなぁ(笑)。
明日(29日)の夜にむけて、
優しく、柔らかな「いい気分」を選択して、
過ごそう。
月のように美しく、
太陽のように暖かく、
大地のように力強く
今を、ここを、
十全に生きることを願いながら。