私のお家は、まがりくねった坂の上にある。

だからどこかへ行くときは、
ショートカットして、長い階段を下りる。

そうして、出かけた後は、
また、長い階段を駆け上って、家に辿り着く。

でね、今日も、その階段を上っている時に、
ふと気づいたことがあったの。

それはね、今でもたまにいわれる、
次元上昇―アセンションのこと。

そうした次元上昇を果たした存在のことを、
アセンテッド・マスターっていうんだけどね、

たとえば、仏陀やイエス、あるいはあなたが
祈りの対象としてある聖なる存在の御方たちも、
皆、アセンテッド・マスターさんたち。

けどね、
そんな至高の存在達と何ら変わらない、
聖なる部分が、私たちの中にも、いるんだよね。

それも今、
たった今、
変わることなく、
宿している。

…そんなのホントかなあ?
ちょっと考えられないよ。
それって、スピだよね?

たとえ心がどう叫ぼうとも、
判断を下そうとも、

深いところでは、
紛れもない真実として、

キラリと横たわっている
宝石のような、
自己の本当の姿。
本質。

それは、
いと高き存在と同質の、

いえ、
本当は、
全く同質の、
何も分かつことのできない、
一なるものであることが、
真の姿、なのだから。

私たちは、
早かれ遅かれ、
いつかその圧倒的な真実に
触れることになるのだと思う。

それぞれの時が満ちたときに、
「わかる」。

いえ、
ほんとうは、
すでに、
わかっている。

心の奥深くでは、
ずっと、ずーっと知っている。

だからね、
私たちは、
アセンションしたいなとか、
悟りたいなとか、
いろんなこと思うかもしれないけれど、

本当は、すでに
アセンションしている時空から、
降りてきているのだとしたら…?

実のところ、
アセンションする、というよりは、
元いた場所に、
戻る(帰る)という感じなんだよね。

ちょうど、我が家が、
階段の上にあるように、
上がることが大変とか、
目標とするでもなんでもなくって、
ただお家に戻るとか、
お家に帰る、という感じよ。

Go back Home.

もとはこちら。

アセンテッドされた、
高次の時空がふるさと。

そこは、
一切の遮りのない、
一元の世界。

だから、
ちょっと探検して見たくなったのね。
だって、ひまだし。
ちょっと退屈なんだもん。

なので、
冒険の旅に出ることにしてみたの。
それは、もっともっと自分を知りたい旅。

それには、
階段を下りながら
いったん自分が誰だったかを忘れてみないと、
面白くなかったので、
「忘却」というゲームルールを課してみた。

そうして、あまたの次元を潜り抜け、
光の振動を落としながら、
とうとう、
時間と空間が織りなす表現領域で、
活動することが出来るようになったの。

やったー!

すると、その想いを入れる容れ物として、
肉体と精神という有限の箱にはいってみた。

そう考えると、
アセンテッドしっぱなしの存在からみたら、

私たちは、
ちゃーんと降りてくることが出来た、
デセンテッドの達人だ、ということになる。

つまり、私たちは、

デセンテッド・マスター。

ということになる♪

えへへ、
そのことわかっちゃったら、
アセンテッドは簡単だよ。

いく、んじゃなくって、
戻るだけ。
お家に帰るだけなんだもの。

Go back home.
To my Hometown.

そうすると、
アセンド(次元を上げる)も、
デセンド(次元を下げる)も、
自由自在の、両刀使いを楽しめちゃうよ。

まあ、この世界、
いろんなこと、あるけどね。
いつも楽しいことばかり、
というわけにはいかないかもしれないけどね、

でもやっぱり、
ここに、いること、あること、
今、こうして生きていること、
息をしていること、
触れあえること、
抱きしめられること、
愛してるっていえること、

素敵だなぁ、
すごいなぁ、
嬉しいなぁ、って思うんだ。

はーい、

光が凝固した世界(物質)にいる、
ディセンテッド・マスターさんたち、

今日も、
元気に暮らしましょう!

…と、
新春のひとり言でした♪

      感謝 みゆき

PS
アートは画集「ラブヒーリングアート」より
Onenessです。