今、新春講演とセミナーの真っ最中。
先週、東京が終わり、明後日は大阪だ。
毎年のことではあるけれど、この期間は、...
やっぱり気が張っている。
いらしてくださる皆さんに、
ああ、来れて良かったな、有意義だったな、
と感じていただけるよう、
どうすることが一番良いのだろう、
ということをずっと考えながら毎日を送っている。
今年のセミナーは、今までと少し趣向を変えて、
毎日の取り組み課題(宿題になっています!)を、
気づきや運動、食に加え、
禅語でのお稽古をすることにした。
一日一禅、
新しい言葉を唱えては、
その意味を深く、深く考察する。
真理に裏打ちされた言葉の向こうを思慮した世界は、
確実に、新しい時空場を形成する。
それは、静かに、その人の世界にしみわたっていく。
今日はその中から、
私の好きな言葉をおひとつシェア。
どんな言葉かというと・・・
みんなよくよく知っているもの。
「玄関」
もともとは、「玄妙に入る関」が縮められたもので、
そこに入るための関所という意味だ。
玄妙とは、奥深い真理、深遠なる叡智のことで、
一言でいえば、悟りの境地ともいえる。
玄関を通るたびに、「玄妙に入る関所」を通って、
新しい世界、懐かしい世界に足を踏み入れる。
玄関とは、そんな崇高な場所だったのだ!
この言葉を、ただ、心のどこかに留めておくだけで、
生きる質が、ぐっと上がるような気がする。
加えて、
「挨拶」
という言葉も、もともとは禅語だ。
「挨」は押す、「拶」は迫る、という意味で、
本来は禅僧が互いに押し問答(禅問答)をして、
相手の力量、悟りの深さを推し量ることを
「挨拶」と呼ぶのだそう。
現代風に解釈すると、
挨拶を持って、相手の状態(体調、心、雰囲気)などを推し量り、
相手の気持ちに寄り添いながら、
思いやりを持って暮らそうよ、とういことになる。
「玄関」「挨拶」・・・、
身近な言葉の中に秘められている、深い想い。
そんな想いに心を馳せながら、
丁寧に慈しんで暮らしていけたらいいなと思う。
さあ、明日から大阪入り。
天気がいいといいな。
わくわく、ドキドキ。
皆様、どうぞよろしくお願いします。