皆さん、こんにちは。

いつのまにやら、ひたひたと、

秋の気配が押し寄せて、

季節の移り変わりめを告げています。

 

そして今宵は、中秋の名月。

ススキとお団子と、月夜を愛でて風雅を感じる日。

日本の伝奇文学の最高峰「竹取物語」では、

かぐや姫が、お月さまへと還る日でもあります。

 

かぐや姫の物語を、深く読み込んでいくと、

求婚者の行動を象徴とした、

我が内に潜むエゴを克服し、

いかにして大いなる天の意思―天意=あ・い=愛に

にそって生きられるかという、

人類がめざすべく、意識のシフトを、

段階的に示した物語であるとも言えます。

 

もちづきの晩、武力によって引き留めようとした人たちを、

いとも簡単に振り払い、そそと帰っていくかぐや姫。

すべては止まった時の中で、動くことの出来た人は、

おじいさんとおばあさん、だけでした。

 

おそらくそこにあるのは、

姫をただひたすらに、愛しく思う心のみ。

つまり、「無償の愛」で浸されていたからではないかな?



つまり、エゴの次元を超えていたのだ。



ここが、天の意の次元と釣り合っていたので、

自由に動き回れたのではないかと、私はみているのです。

 

私たちも、いつの日か皆、天の意を、

そのままくみながら、この世界に表すことが出来る、

そんな世界がきっとくるのだと、深いところで信じている。



そこを垣間見ることのできる、一番近い表われが、

子を想う心、愛しい人を想う心、

そうした「無償の愛」なのだろうと感じているの。

 

輝夜姫、かぐやひめ…におうがごとく輝いて、

内からの光輝が、この世界を明るく照らすひと。

 

かぐやひめ、それは、

もうひとりのあなたの物語。

 

生きとし生けるものを愛で満たし、

思いやりと優しさに満ちたまなざしで、

きらめき、かがやき、のびのびいきる。

 

今日から三日間、ご一緒に、

われの中にいる、

かぐやひめを呼び覚まそうよ。

 

自我の壁の中の住人だけではない、

天地を行き来する、自由でのびやかなわたしの召喚。

 

「ひめ」たるものを目覚めさせ、

「かぐわし やさしき」世の中へ―

 

かぐやひめ、 いらっしゃい。

ようこそ、ここへ、この星へ。

 

1111分の1分間の祈り―、

愛しい人を想うように、

心を愛と感謝で満たし、祈りを捧げる。

天の意と、心をそっと、揃えていく。

よければ、ご一緒にどうぞ。