上記のタイトルで下記のような記事がありました。

 

 橋下徹「彼らは飲食や金銭を介してしか、仲間を増やせない」...裏金にまみれた「ザ・自民党的政治」から脱却するために求められるコト

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 —政治にはおカネがかかる—。何となく国民もそう思ってきたし、政治家たちもそう思わせてきたわけですが、今の時代、政治家ほど「飲みニケーションが必要だ」と言う人種は他にいません。

 

 橋下 そもそもなぜ高額な飲み食いを介さないと政治ができないのか、国民は素朴に疑問に思うでしょう。民間企業でも通常の業務は会議室で行いますよね。酒を飲んで酔っ払いながら行う真剣な会議なんてありません。それが「政治」になると、「人間関係構築には飲みニケーションが必要だ!」といまだに堂々と言うのです。

 

 今バリバリやっている民間の場でそんなことを言えば、嘲笑の対象になるのに。完全にズレています。民間では厳格にルール化されています。先日、日本を代表するある企業のトップと会食をしました。そのクラスでも、厳しいルールに従っていました(笑)。

 

 「合理的であること」を旨とする方々には、まったくもって理解できないことかもしれません。

 

 また、飲酒及びその悪弊に辟易している方には、まったくもって理解できないことかもしれません。

 

 が、しかし、コミュニケーション手段の一つとしての「飲食」は絶対に必要だと思います。

 

 橋下氏は、「そもそもなぜ高額な飲み食いを介さないと政治ができないのか」と言っておりますが、さてなぜ高額と決めつけるのでしょうか?結果的に高額になってしまうと私は考えております。

 

 日本という国の政治の世界での「話し合い」「具体的な協議」「腹を割った話し合い」「胸襟を開いた話」は、絶対的な秘密の保持が最も重要だと思います。というか、世界中共通していることだと思いますけどね。

 それは日時も場所も飲食の内容も外に出ては困るので、少なくとも、店舗側からの情報が漏れない「わきまえた」「信頼できる」店に、秘密保持代も含めた支払いが必要になると思います。

 

 もちろん、個人宅も一つの選択肢ですが、準備や手間暇、張り込みなどを考慮したら、そういうことができる環境の場所でなければなりません。

 

 簡単に言えば細心の注意を払った場所選びが必要です。

 

 誰と誰が、いつ、どこで、どれくらいの時間会っていたか?がバレては困るのが政治の世界です。「なぜ」「なんのため」などは、関係ありません。

 

 対立軸にある相手はありとあらゆる「点」である情報を収集して対峙してくるわけですから。そして、いくつもの「点」と「点」を、線で結び、形を整えるのです。

 

 その形が整ったものを、今度は崩していく作業が相手方から始まるわけですから、とにもかくにも「情報漏れ」を少しでも無いようにしなければならないのです。

 

 それは、人事をはじめとして、法律案でも予算案でも何でも必要とする人がいれば、それに反対する人が、双方の理由に基づいて存在するのですから。

 

 話がちょっと逸れました。

 

 絶対的な民主主義の世界では、多数決の原則が存在します。その多数を形成するための話です。戻りますが、「具体的な協議」「腹を割った話し合い」「胸襟を開いた話」は、「表」の「正式」な会議の席上できるのでしょうか?そして、その「表」の「正式」な会議の席上だけで、決定できるものでしょうか?百歩譲って、「表」の「正式」な会議の席上だけで決定した内容が自分の考えと違う場合、納得できるものなのでしょうか?

 

 もっというと、その程度の思いしか無いのでしょうか?

 

 中国に駐在していた時、文化大革命の雰囲気がまだ残る時期だったので、彼らの秘密保持の意識は、私が上述したことなんかよりはるかに厳重でした。

 

 そんな世界にいたせいもあって、情報の秘密の保持の意識は高いのかもしれません。

 

 日本人に限らず、人の心理として「具体的な協議」「腹を割った話し合い」「胸襟を開いた話」って、いろいろな、かなり多方面多岐にわたる意味合いから、「秘密の保持」をより固くされていることがその環境を作りだすのではないでしょうか?

 

 そういう意味では、政治の世界、特に上に行けば行くほどその力を必要とする人たちと、その力を行使しやすい人たちに、人は集まってくると思うのです。

 

 その接触も、秘密の保持が肝要です。

 

 産業界、経済界でも、相反する勢力や、競合する勢力や、いろいろな分野の方たちが、より自らの仕事が円滑に利益を生みやすい環境(=関係する法律や制度)を政治家に求めるのは当たり前の話です。だからこそ、いま、毎日メディアを騒がせているアメリカでは、「寄付」や「業界団体の意思に沿った政治活動をする政治家」が堂々と政治資金を求められる、受け取れる仕組みが整っています。

 

 一方日本は、それがしにくい環境と、それがしにくい「正義」が存在します。住民の要望は聞いても良いけど、企業の要望は聞いてはいけないがごとくの世論形成は困った現象です。