何度か最近の途切れ途切れのブログで、地方政治への興味の薄れをなんとなく書いてきました。失礼ながら、船橋市政があまりにもバカバカしく、さらに全国的に見ても地方議員の不祥事が頻発し、地方公共団体の不祥事が頻発し国や地方の意識ある関係者の情熱やその意識に対して、反比例をする話しか聞こえてきません。

 

 一方で国政もしかりなのですが、特に、野党政治家の質の低下と共に、与党の政治家の質の低下も感じ取れ残念に思います。

 

 「それは昭和の時代の政治だよ。」で済まされるものなのかと逡巡しながら、岸田総理を批判しながらも次の総理を目指す強烈な個性が出現しないことにいら立ちを感じています。(笑)。

 

 政治家というのは、地方であろうが国であろうが「命がけ」で行うものであり、日々の生活をするための生業となっては絶対にいけないものだと思います。

 

 そういう意味では、岸田総理が批判されればされるほど、立派な政治家なのではないだろうかと思い始めていた矢先に、政治資金規正法の改正に当たってはしくじった感が強く、残念な思いです。麻生総理や茂木幹事長が岸田離れをメディアが言っておりますが、まさに麻生総理のパーティー券の扱いについて公明党に寄ってしまったことは大きな間違いだと思うのです。自民党存立の危機とは言わないまでも、政権を盤石に維持していく基盤は、豊富な資金と戦略だと思います。私の言う戦略とは長年にわたって政権を維持してきた(一時お灸をすえられたときもありましたが)「経験」「政治家心理を押さえた」ものを言います。それはある意味政治活動における絶妙なバランスを保つ。日本国という歴史ある国家における文化や価値観、道徳観などとのバランスを言います。

 

 逆に、平成、令和のこの国の「文化」「価値観」は、米国的拝金思想にまみれてしまい、「お金」が絶対であり、その獲得には「手段」を選ばず、「公平」「公正」を偽善的に求めるものになっているような気がします。

 

 話を戻しますが、岸田総理は、内政は本当にどうしようもないくらいボロボロですが、日本国の国会議員のおかしいところは、身近に感じ取れて、選挙に直結する内政ばかりに目を向けて、外交・防衛は票にならんとばかりに目もくれないという部分に、落胆をしているところです。

 

 「内政なんて」というと怒られそうですが、地方分権を進めることを声高に言っていた地方が最近へたっていますが、内政は地方からのボトムアップと、中央諸官庁の優秀な官僚とのタッグで大方解決が出来るから、国会議員は、世界を大局的にみながら自国の利益をどう確保し、自国民をどう豊かに暮らせるかを世界の中の日本国を見、そのためにいかにこの国の体制を守っていくかに専心、腐心すべきではないだろうかと思うのです。

 

 そう考えると、岸田総理の就任以来の外交・防衛関連の事項は素晴らしものがあるのではないかと思い始めているのです。確固たる信念や思惑があるのかどうかは感じ取れませんが、「政治は結果だ」から言ってみれば、「結果は良好」だと思うのです。

 

 大変僭越な物言いで申し訳ありませんが...。(笑)。

 

 但し、ただしですが、よく理解はしているのですが、米国に盲目的追従をしすぎではないか?という最近の私の興味のあるところです。アメリカという国との関係は、重要なものでありますが、独立国家としてのアメリカとの距離感というのは現在のもので良いのか?という疑念がものすごく強いのです。

 

 私は、かねてから親中国の部分が多いのですが、中国的視点というか親中国の私の視点では、アメリカに盲目的追従で良いのか?と思う話ばかりなのです。最近。