実は、ずっとここ数ヶ月悩みに悩んでいたことですが、ブログでいろいろ主張したり、持論を述べていたりって、かなりマスターベーションの世界で、なんら周りの人たちの共感なんてないな。と。

 

それは政治のニュースを見ても、友人と話しをしても、家族と話をしても、明らかに私の考え方は現代の主流ではないと思わされてしまうほどのメディアの論調論旨。

 

必死になって、空いている時間を読書に充てておりますが、そこには自分の置場がある感じがしますが、雑誌やネット記事ではもはや時代にそぐわない存在であることを感じさせられます。

 

先般も、久しぶりに会う友人と飲むほどに酔うほどにの話だったのですが、私も知る共通の方が、それなりの出世をした話になったら、普段温厚だと思っていた友人が、「何も仕事をしないことが出世の道だ」というニュアンスのことを言い、普段強めな発言が多い友人の方が彼をなだめながら「俺みたいにならないように気をつけろと」いう不思議な展開が繰り返される夕餉のひと時でした。

 

まあ、ここで申し上げたいのは、「モーレツに働く」「がむしゃらに働く」ことが、昭和の時代の話であって、いまはそれを求めることさえ「悪」(私から言わせればの話)
のようです。

 

がむしゃらに働くし、がむしゃらに遊ぶし、がむしゃらに圧をかけるし、がむしゃらに怒りまくるし、でもなんとかなった。って時代の真っただ中で社会人として育った私には、もはや通じない「常識」と「非常識」の存在があるようです。

 

あちこちで、同じマインドの友人がいるわけですから嘆きも同じなんですね。

 

ことなかれ主義。

 

仕事しねえ~んだよ。

 

って、話ばかり。

 

政治の世界もそう。市議選に二度も落選したから封印してきましたし、今後も語りたくはありませんが、明らかに地方議員の世界は私には当てはまらない世界になってきました。

 

地域や地域住民にとって幸せかを考えるのでもなく、大きく勘違いをしている議員が随分見受けられます。

 

昔は、長年の社会経験に基づいて、何とかしなければいけない。と、その道を目指していた感じですが、かなり散見されるようになってきた地方議員は、非常に狭い世界に育ちながら、その世界においてダメなことは、住民全員がダメと思っていると思い込んでいる視野狭窄症芸能人議員って感じですかね。選挙は人気投票であって、自分は芸能人のようにスターなのだ。と。

 

ここまでにしますが、地方議員の不祥事のニュースが日常茶飯事です。しかもゴシップ的というか、あまりにも下劣、下品な事件事故が多い気がします。

 

私は、浜田幸一先生や佐藤栄作総理など昭和の時代を確実、着実に良い方向へ導いた政治家が多数いた時代を尊敬しています。