前回、読了後の感想を書かせていただきましたが、もう少し補足を。

 

 先日、NHKの番組を見ていたら、日本企業の中国との関係を取り扱っており、その数が膨大であることがわかりました。

 

 多いだろうなぁとは思っていましたが、これほどまでかと驚きました。

 

 だとすると、「経済安全保障」は別であるとしたとしても、よくよく考えなければならないことなのだと思いました。

 

 一方、この本と私の経験とで、確実に合致していることは、中国共産党や中華人民共和国がどうこうでは無く、根っからの中華民族(中華人民共和国成立以前からも含めて)が、我らこそこの地球の中で、No.1の民族であり、世界的覇権を握るに相応しいのだ。と思っていることです。

 

 それは、政府の指導者や党指導者だけではなく、一部の少数民族を除きすべての国民の生き方の根本に、自然に据えられていることだと思うのです。

 

 更に番組の中で「国家資本主義」という単語出てきて、私は思わず「いい得て妙」という感じだなあ~と思わず吹き出しそうになったところです。

 

 鄧小平氏が、中国独自の社会主義市場経済という言葉を使って改革開放をしてきました。それが基本となって、ここまで急激に発展してきたのですが、例えば香港の民主化問題などは、私はこのブログでも疑問符のつくことを書かせていただきました。

 

 多くの西側民主主義陣営の方々は非難、批判をしているのですが、改めて振り返りますと、先ほどの国家資本主義の言葉の言いかえで行くと、国家独裁的資本主義とでもいうのでしょうか(笑)。

 

 政治的に自由かつ民主主義が、資本主義と合致することが「絶対だ」ということがひょっとすると「幻想」にすぎないのか?という気になってきます。

 

 China2049を読み進めると、まさに中国的民主主義が国民に自然に受け入れられて、これで良いのだという国民と、欧米西側諸国と同様の自由主義に民主主義が加わったものでなければいけないという国民がいるようではありますが、大半の国民が、とりあえずはまあ、国家が、ある程度の自由を認め、生活が豊かであればまあいいかなという感じの国民が大半なんだと思います。

 

 更には、国家のしかるべき裁量の中で、お金儲けは自由よ!という長谷川的表現で言うとかなりえぐい商売アリという感じが伝わってきます。

 

 発展途上国にはありがちな、走りながら考える的な、規制や法整備がまさに行われているところで、そこは「法治」の概念をあまり持たない国民性もあって、いつ、規制がかかるかわからない、いつ法律が変わるかわからない。という前提のもとの商売、商習慣、事業が結構見受けられるような気がします。(笑)。なので、基本は儲けられるときにしこたま儲けて、何か規制がかかったり突如法律が変わってやっていることが立ちいかなくなっても、自分のせいでもなく国のせいでもなく、ただ単にタイミングが見誤った。あるいは、「運が悪かった」程度で、自己責任でありながらも、「まあ仕方ない」という感じだと思います。

 

 少なくとも日本と違って、会社が飛ぼうが何だろうが再チャレンジに寛容な社会であることは間違いありませんから。(笑)。

 

 そして、何年も前から西側資本主義諸国の価値観と経済の原則で中国経済を見ている人たちが「見」「誤って」いると思ったことは、中国経済が危ないという人がたくさんいますが、危ないように見えるけど「国家資本主義」ゆえに、中華民族特有の「メンツ」を重視し、経済の原則等はとりあえず置いておいてみたいな、かなり驚きな国家資本主義体制なんだなと感じです。

 

 そういうある意味奇想天外な資本主義というか、かなり頭の中を西側資本主義をぐにゃぐにゃに頭を柔らかくしなければ、理解できないかもって思い始めています。