さて前回は読み始めで書いておりましたが、読了いたしました。やっと読了致しましたと書いた方が良いかもしれません(笑)。

 

 China2049秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」(左をクリックしてお読みください。)

 

 ある意味諦めの境地という感じがしないでもありません。読み進めれば進めるほど、この数十年を振り返ってみると思い当たることばかりです。

 

 

 

 昭和の終わり頃に中国に行き、ビジネスに関わっているときは、圧倒的に「先進国」の国民であった私たち。そして、発展途上の国だった中華人民共和国。

 

 もうごくごく単純に、発展途上国に先進国のサービス業を持っていくんだと思っていたし、繰り返される中国側との会議、交渉、宴会、そして実際の仕事においても謙虚で友好的で、お互いに宴会等で口にするのは「互恵平等」「子々孫々」などとにかく一生仲良くしようよって感じの会話と言葉の羅列のオンパレードでした。

 

 私はお酒が飲めませんが、宴会ともなれば乾杯の繰り返しとタバコの勧め合いで、ニコニコの宴会でした。そして日本側の私たちは単純に、ストレートにその通りのことを受け止め、仕事をしておりました。

 

 さて、この本の後書に謝辞とありました。冒頭部分を引用させていただきます。

 

 本書執筆には50年を要した。もし、3人の中国人「儒将」と議論をしたり意見を戦わしたりする稀有な機会が得られなかったら、本書は形に成らなかっただろう。彼らのほとんどは中国の戦略に関する本や論文を発表している。なかには、20年以上にわたる知己もいる。誰ひとり、国家機密を守り共産党の方針を指示するという誓いを破らなかった。しかし、彼らは皆きわめて聡明で、孔子が言う「遠来の友」であるわたしたちの助けになることを強く望んでいた。わたしの結論のすべてに同意したわけではなかったが、彼らの洞察は有益だった。ヘンリー・キッシンジャーは中国人の考え方を深く理解しており、その知識に基づいて直接的にも間接的にも支援してくれた。

 

 私が中国に駐在していた時に、ヘンリー・キッシンジャー氏を街でお見かけしたことがあります。米中関係に深くコミットしていることは理解しておりましたが、「あのとき」はどこまで中華人民共和国という国を理解していたのだろうと思わずにはいられないほど様々なことを示唆する本でありました。

 

 筆者は50年かけてこの本が書かれていると言っております。

 

 私が初めて中華人民共和国に入国したのが1985年おおよそ40年前。

 

 私も、自らのライフワークかのごとく、濃淡はあっても中国には注目しておりました。おかげさまで友人知人がおりますから、連絡は絶え間なく、まさに濃淡があっても様々な話を聞く機会もありました。しかし、筆者とは違い一、市井の人間ですから、気軽に気楽に政治の話も、機微に触れる話も関係なくお互い下々の民として話をするような部分が多くありました。

 

 しかし、いま思い返してみますと、前回も書きましたが、その全てが、この本の内容と一致するのです。

 

 一致するという言い方は適切ではなく、すべての事象、言説が合致するとでもいうのでしょうか。そして、むしろ中国専門家ぶってメディアで語られることの方が滑稽であったりすることがわかったのです。

 

 中国共産党の一党独裁国家というのは間違いで、中華帝国という国を中国共産党という共同運営体が国家運営をしているとでもいうのでしょうか。そこには、「個」の存在は極めてちっぽけなもので、その「個」がある程度金儲けをしようがなにをしようが「まあまあ」という感じであしらい、中華帝国を築き上げる100年計画の一端を担うことのプライドだけが優先されるという、国民性は勝てるはずもないと改めて認識したところです。

 

 何を言ってんだと保守系右派の方々に叱られるとは思いますが、まさに現地に住まい、人民との接触をし、その裏付け的この本を拝読して、至る結論は、記述もされていることですが、英独が米国に抜かれ、米国が発展してきたことが、今度は中国に抜かれるだけの話に過ぎないんだと目から鱗的発想に転換したところです。

 

 そして、この本を読むきっかけになった、長谷川榮一氏の「首相官邸の2800日 (新潮新書)」

 

 

 

に記述されていたように、アメリカ政府のみならず日本政府関係者もこの本を読んでいることは間違いなんだろうし、明らかにこの本の裏取りをして、発言を行っている政治家、評論家もいるなと思いました。

 

 

 日本の立ち位置と中国との関わり方をしっかりと考える時期に来ているなと感じました。と同時に安倍総理は、米国と協調して、対策を取り始めていたなと感じるものでした。