一昨日でしたか?千葉市の元総務局長で、代表監査委員が覚せい剤事案で逮捕されたニュースがありました。

 

 あらあらあら~と思いましたが、政令指定都市での事案。職員数もかなりの人数がいますから、犯罪者が出てしまう可能性も高いわけですが、さてさて、そういう姿勢で良いのでしょうか?というのが私の感想。

 

 現職の議員でいるときに、私が庁内不祥事に厳しい姿勢でいたのですが、「人間だもの、誰だって間違いはある。」というニュアンスの事をのたまわった議員がいました。

 

 さて、議会の議員が、相田みつを先生のようなことを言っていて良いのでしょうか?

 

 変でしょう。

 

 不祥事に対する考え方って結構難しいんですよね。公務員としての職務遂行上の法令違反や、道義的犯行為などは厳しく対応していくべきだと思うのですが、さてさて、人として、個人としての「行い」についてはどこまで対応すべきなのかです。

 

 昨今のパワハラセクハラ事案や考えもしない思いもよらない事案もある中で、なんともなあという感情処分は絶対に避けるべきです。また、船橋市役所では明らかにできていないことが、不祥事事案の検証です。私が申し上げる検証とは再発防止につながる徹底的な検証を言います。

 

 そんな時間と人がいないと言われるかもしれませんが、そうしないことには再発をしてしまうのです。

 

 本来防げる事案が繰り返し繰り返し起きている船橋市役所は末期的と言わざるを得ませんが、それさえも何事もなかったの如く、日常業務を行う異常さは広く市民の皆様に知っていただく必要があるのですが、「そんなこと市民は興味が無い」とタカをくくっている。あるいは市民をバカにしている。のでしょうかね?

 

 先般も、友人から「早く議会に戻ってくれよ~」と言われました。「ひどすぎるよ。市役所。」と。「まるで山賊の様だと業界では言ってるよ。しかも都内の大手も。」って。

 

 まあ、ひどい話ですが、詳細に書くと出元がばれちゃうから書きませんけど、同様事案は、別の業界団体の長の方と話した時もそう。

 

 挙句は、県の関係者と話した時は、「船橋市」という地方公共団体はいかに異常かをとくとくと述べられました。というように、あまりにもひどい話ばかりが入ってきて、最近の様々な情報交換の場があるのですが、聞こえてくるのは「船橋市役所の『異常』」の話ばかり。

 

 どこの世界にも「自分こそが正しい」人ばかりですし、かくいう私もその一人。ですが、少なくとも船橋市役所を批判的に言う場合は、自身のネットワークや今まで生きてきて、普通の市民の方よりも圧倒的に多くの方と名刺交換をしてきた数からしても、このような場で公表しても、偏りのない、公正・公平な目で見ても「異常」であることは間違いないこと。あるいは公表に足ることしか書いていません。

 

 そんな中でも、最近はあまりにもひどいことが多く、書ききれなくなっています。

 

 そして、最近聞こえてきたのが「コロナだから」と、結局はいつも自分で責任を負わない体質を露呈している典型的な悪い公務例。嫌な感じです。

 

 話が散逸してしまいました。

 

 さて、私生活で覚せい剤を使用、逮捕。しかし、職業は発表されちゃう。

 

 でも、この代表監査委員が「覚せい剤使用に至った経緯」あるいは交友関係などを可能な限り関係者の聞き取りなどをしないとならないと思うのです。公務員が覚せい剤に手を出すというのは、もちろん個人の資質にもよるわけですが、「業務においてそういう状況に陥る可能性」が無いとは言いきれないと思うのです。

 

 ちょっと覚せい剤事案では、うまく表現しにくい案件ですが、逆に言うと公務員でも簡単に覚せい剤に手を出す社会になっているとしたらそれはそれで問題。そいうことも、直接的に市民との接点がある「市役所」は、市民の健康と安全を常に考えなければならないわけですから。

 

 ちょっとずれちゃっていますので、別の方で。

 

 船橋市に良かれと思って、業界団体にいうこと。あるいは事業者に言うこと。が実は、職員個人あるいはその部署の「益」のためであって、市民の「益」ではないことが、前述の業界団体長の共通した認識でした。

 

 これって深刻で、船橋市役所というところが独特の風土を持っていることの証でもあります。

 

 それは何か?

 

 いまだに、この時代に、驚くことに、「御上」なのです。

 

 だは~(笑)、今ネットで確認のため「御上」を検索したら、「政府・役所」ですって。(笑)。

 

 私としてはある意味揶揄した言い方のつもりですが、これ(ネット情報)をまじめに受け取られたら困るのですが、「御上の意識」で検索しましたところ、やっと私の表現したいことを書いている先生がいらっしゃいました。

 

 「憲法に記されているように、公務員は、全体の奉仕者であり(15条)、憲法を尊重し擁護する義務を負っている(99条)。したがって、公務員には主権者である「国民の公僕」であるという意識が不可欠であり、行政のプロとしてのやる気(士気、モチベーション)もそうした意識に基づくものでなければならない。そのためにはまた、国民ないし住民との「信頼関係」の保持と創出が必須である。然るに、そのような自覚や使命をもった公務員が少なく、「お上(おかみ)」のような意識を持つ公務員がいたとしたら、それは本末転倒である。」

 

 上記は、山脇直司(東京大学大学院総合文化研究科教授)先生のコラムの様です。

 

 新しい公僕の意識に見合った制度改革を!(左をクリックしてください。)

 

 これねえ~実は根が深いというか、典型的な御上が現市長です。前市長はどちらかというと大旦那。前々市長は公僕でした。

 

 ですから仕事への向き合い方がみんな違う。スタイルは、公僕だった大橋市長は、腹の中で何を思っていようが、発する言葉、仕事の向き合い方は「市民の奉仕者として」のものでした。大旦那だった藤代息子市長は、「よっしゃよっしゃ」でした。ここで藤代息子市長と書かせていただいたのは、大橋市長の前の市長が藤代七郎(父)市長でしたから。そして現市長こそが御上の最たるもので、下々には適当に欲しがるカネをつけてやりゃそれでいいんだ。と。市役所の膨大なカネに群がる「ハエ」くらいにしか思っていなくて、「俺がつけたやった」を恩着せがましく言うらしい。と、ある業界団体の長と親しい人が言っていました。

 

 大橋市長は行政マンとしての魅力がありました。

 

 藤代市長は政治家としての魅力がありました。

 

 両市長は魅力と共に功罪もありました。功が目立つときもあれば、罪が目立つときもありました。しかし、しかしです。

 

 今日はこの辺にしますけど、もし、このブログをお読みいただいている業界団体の長の方や、業界団体の役員の方は、市役所のカネと、自身の業界と、市長の「言動」を重ね合わせて冷静に考えてみてください。ここでいう言動は、「言葉使い含めた」言葉の奥底にある心象風景や、話すときの表情などです。

 

 私は、日本語を大切にしています。往々にしてこのブログでは口汚い言葉を使いますが、使いながら、その使い方にも意識を集中させています。それはある特定の対象者へのメッセージでもあるのです。日本語程豊かで表現力の豊かな言語はないと思っています。

 

 私は社会人としての最初の教育は本当に厳しい会社で厳しい方に鍛えていただきましたので、言葉使い、立居振る舞いは、T.P.Oもわきまえているつもりです。実践とは別にですが(笑)。

 

 特に、嫌いなのが「わきまえない」なれなれしい言葉使い。です。

 

 大橋市長は日本語を正しく使っていました。

 

 藤代市長は高校の先輩として、大旦那として、政治家としての日本語の使い分けのできる方でした。

 

 繰り返しになっちゃいましたが、ここで終わりにしておきます。