前回は何を言いたいのかわからないような内容になってしまいました。お恥ずかしい。


さて、そうこうしているうちに一昨日のニュースバラエティでは「樹木約900本伐採計画への抗議デモ 神宮外苑の再開発」などと伝えられており、いや~な気分になりました。


と申しますのは、このことに興味を持ち、いろいろと公開の関係資料を読んでおりますが、かなり以前から計画がされきちんと手順が踏まれ、手続きを行っていることがうかがわれます。


というのは、東京都の都市計画審議会の記録や東京都環境影響評価審議会の記録などを読んでいるのですが、A4両面印刷で2センチ以上にもなっています。


そこに記述されている会議体の記録などをさらに印刷したりすると、いくら時間があっても足りないくらい。


まず気になったのは「老木の管理責任」です。樹齢の長い樹木は、動物と一緒。決して健康体のものばかりではありません。太く大きく高くて、そこそこに緑の葉をつけていても決して健康とは言いきれません。


まったく人間と同じで軽い病気の木から重い病気の木まで様々です。ましてや千の単位の樹木を常に健康であるか否かをチェックするには膨大な費用がかかります。


とは言え、多くの人が行き交う場所にある樹木ですからいいかげんな管理では許されません。


些細なことで倒木してしまう可能性のある木や何らかの原因で上の方の枝だけが大きく折れる可能性や、日常の風雨による状態の変化に常に気配りをしなければなりません。


先人たちは、崇高な理念・理想を掲げて植樹をしたとしても、50年、100年後に枝ぶりや、自動車社会の発展による大気の状況、市街化・都市化による日照や、気候の変動などは知る由もなかったものと思料いたします。


樹木の個々の特徴・特性も踏まえ、植樹された樹木の再構築が管理する側にとっても必要な時期になってきたと思います。


そこで、本務である神社経営の長期的安定と健全経営を目指すための事業だと思うのですが、緑の保全というか現状維持だけを旨とする運動はまったくもって理解できないものです。


いままで読んだ記録によると、樹木の健康具合によって、選別を進め、取り扱いを決めていくようですし、全体計画での本数的には現状を上回るような最終形になるようです。


それをなぜにデモ行進までして反対するのか?「軽々な『環境保護』」なる知識階級的な?知的レベルの高いような意識で活動をしているのでしょうか?


ひどいと思ったのは、「寄付でも募れば簡単に集まりますよ。」というある大学の名誉教授と自ら仰る方の発言。


寄付なんてものは永遠に続くものではありません。


「私は樹木を守るためならいくらでも寄付しますよ!」的な発言でしたが、外苑の諸施設の安定経営をしながら、明治神宮という大きな財産を守っていくことが肝要であって、それらのプライオリティを総合的に熟慮を重ねて出した結果だと思います。それを簡単に「緑の保全」という側面だけから、近視眼的というか偏った思惑で騒ぎたてることは不健全だと思います。


しかも、もっといやなのは思慮深さに欠ける小池百合子がある一定程度の発言する立場にあることです。


明治天皇をお祀りすることの大切さと、ご皇室が様々な形で支えてくださっているスポーツの振興とを両立させながら、それらを維持発展させていくための事業を、ある意味「エセ環境保護派」に侵されてしまうことは、極めて忍びないことであります。