実はこのブログタイトルにしたのは、あまりにも私の考え方とは違うことを職員の方から言われたからです。
前回のブログに書いたように、私は、全体の奉仕者として、市民国民県民に寄り添って、その人たちの奉仕者としての務めを果たす仕事をするために公務員を目指し、公務員のなったのだとばかり思っておりました。
なので、「宣誓」文を書かせていただいたのですが、
私のある職員に対するメールでの質問です。その前のやり取りもありますが、様々な事務ミスや不祥事の連続に関してやり取りをしている時です。
ねえ、今更なんだけどさ、どこの歯車が狂ったんだろう? 私は一貫して市長の資質を問題視しているんですが、それだけか?と思い始めております。
というのは、経営者が誰であれ、「全体の奉仕者」としての意識がしっかりしていれば 、ブレないと思うんですよ。
日々の業務も、業務へ向き合う姿勢も。
さらに言えば、「人としての生き方」っていうか「生き様って」っていうか「良心」というか「モラル」っていうか、なんていうのかなあ、「真面目さ」を持っている人を採用試験で合格させていないのかなあ?道徳心か?違うなあ。
なんだかここ数回のメールのやり取りが禅問答や青臭い哲学論みたいになって嫌なんだけど、なんでこんな役所なんだ?
ヤバイと思っている子達は逃げ出しちゃっているという感じかなあ?
でいただいた返信で、実態は、今時の職員の多くは、
職種はやりたいことをメインに選ぶけど、公務員は条件をメインに選んでるって違いは大きいと思います。
例えるなら、企業への就職はスタートラインに立つような感じに対して、船橋市役所への採用はゴールインとでも言いましょうか。
しかも私の頃にはなかったダブルスクールにより大学生のうちに公務員予備校に通っている人が大半だと聞いてます。
だから成績は優秀だし、面接対策とかもバッチリだと思いますから、なかなか見抜くのは難しいかと思います。
しかも採用人数を埋めないと自分たち(総務部)が責められるから、それは避けたいんじゃないですか。
となるほどね。公務員になることが目的で、すでにそこがゴール。安定した生活と余裕のある時間が心地良いのだ。と。