役所の大先輩と色々な話をした時に、たまたまある現役職員の話題になって、「俺はあいつの仕事っぷりにキレてめちゃくちゃ怒鳴っちまったことがありますよ。」というと「ダメだよ役人は責めちゃ。気持ちはわかるけど、何の得にもならないよ。上手く使うんだよ。」というご指導でした。

 

 実は、こういう言葉、何度も何度も聞きました。なんせ一番最初は私の父から。その後会派の先輩からも何度も難度も。

 

 市長からも副市長からもという時期もありました。

 

 その都度その都度、理由を述べておりましたが、もうある時からそうですね。と答えるようにしましたが、さてさて、困ったものです。

 

 実は、多分、普通の、ごく普通の地方公共団体の職員諸氏は、優秀かつそつなく職務を遂行し、日常業務も自分の立場と立ち位置をしっかりとわきまえていて、問題ないと思うんです。

 

 僕だって、かなり寛容、寛大な気持ちで受け止めていることが多いのですが、仕事の向き合い方がどっちだそりゃ?何でだそりゃ?ってのがあるんですよね。

 

 そもそも、私にその指導をした大先輩職員は、そう言ってる矢先から、私のその目の前で、職員に説教を始めているんですよ。

 

 こりゃ長年付き合っているけど、全く沸点が一緒のDNAだなと感じたものでした。

 

 そんな中、少々面白いものを見つけました。

 

 ちょっと面白い場所でウォーキングをしていたのですが、これです。この看板二種。

 

 

 

 

 

 理由はいくらでも想像できるんです。

 

 私がここで思ったのは、説明が足りないな。でも説明の機会も無いんだろうな。これしか方法がないのかな?ってことです。苦情でもなんでもありません。

 

 まず、場所は、長津川調節池と長津川緑地?(笑)。ひどいわ。簡単に検索できません。そこです。私が申し上げたいのは。

 

 しかも、民間の方々は長津川親水公園と命名。

 

 ウォーキングをしながらね、考えてみたんですよ。

 

 多分、い~っぱい、嫌というほど色々な苦情をいただくのでしょう。しかもこちらを立てればあちらが立たず。という感じ。誰も悪者にしない、現状の不足部分、役所のやりきれない、対応をしきれない部分があって、ある意味瑣末なことゆえ、予算をとりにくいってことが多すぎての結果がこれらの看板でしょう。

 

 でもですよ、これって私が仕事柄知っていたけど、一般の「公園」としての利用者にとっては自分に都合よく解釈するんですよね。

 

 そこで先ほどの大先輩の話に戻ると、共通の話になってきます。どっち向いて仕事してんだ?の話です。

 

 大先輩が私の前でキレて説教しているのは、市民の側、施設利用者側の立場にな立っていない!!!と持論を展開。自分だってわかっているくせに話し出したら止まらず、医療センターの苦情を、全く違う場で例に出して話をしていました。そんなことも百も承知の大先輩。要するに、船橋市役所全体がそういう空気なんだ!!と結論は全く私の持論と一緒。

 

 でもまた長津川に戻ります。

 

 そもそも、第一義的な施設としては、あの名称の通り「調節池」であり、あの周辺全体の大雨被害を回避するための施設であること。これの説明が申し訳程度にあるだけ。

 

 本来は、その定義づけを徹底させることが肝要であって、そこから理論構築をして、できることできないことを明確にしなければいけません。中途半端に議会筋に言われたり周辺自治会町会から言われたり、利用者苦情があっても、線引きを徹底的に庁内議論をしておくべきでしょう。

 

 また、事故事例も含め、それらに基づいて、ハード面の予算措置などもすべきでしょう。

 

 ウォーキングしていて変だなって思うことたくさんありました。

 

 でも調節池だもん。で済まされますよ。私は。それは私以外にも、理解できるように周知すべきなんでしょうね。

 

 で、今時の先進式の各種機器類などを利用すれば、対応可能だろうなと思いましたね。

 

 そもそも、この看板おもしろいでしょう。

 

 「河川管理用通路です。」

 

 だから何?それって何?でどうすりゃいいの?

 

 利用者側の意識は?

 

 これって市の公園でしょう?えっ?違うの?市の公園でしょう?(笑)。でもこの黄色い看板には、「千葉県・船橋市」ってあるけど?(笑)。

 

 県の所管部分と市の所管部分とで成り立っています。ってか?

 

 利用者側はどうでも良い話。要は、「公」が設置し、管理する「公園」でしょう!!

 

 なんですよ。

 

 注意喚起の誰も読まないような看板よりも、音声による説明などをピンポイントで聞こえるような装置を利用して随所に設置するとか、自転車は確実に降りなければ入れないようにするとか、自転車を分離するとか、徹底的にシミュレートすべきなんでしょうけどね。

 

 私は、自転車も何もかもを否定するのではなく、良い利用方法を定義づけしないと。概ねマナーは守られているけど、生活道路の役割もあるみたいで、何もかもが中途半端で、という船橋市役所的決着が、中途半端ゆえにみんなの不満を増長させちゃっていることに気づけない(笑)。