自民党は弱体化するのではないか?と心配しています。

 

 まずは、ここのところ書いておりませんでしたが、菅内閣総理大臣の自由民主党総裁選挙への不出馬を残念な思いで見ております。

 

 そして、始まった総裁選挙に関する様々な動きですが、その前に、二階幹事長が8月24日に語ったとされることがネット上からほぼ消えてしまっており、その内容のことを懸念しております。

 

 私の記憶では、二階幹事長は24日の記者会見においてかあるいはその後取材でなのかははっきりしませんが、FNNプライムオンラインでその一部に触れています。

 

 自民党内から、菅首相のもとでは衆議院選挙を戦えないとの声が出ていることについては「誰々さんでは選挙戦えないというのは失礼な話だ。自分だったらどうするんだ」と述べた。

 

 FNNプライムオンライン(左をクリックしてください)

 

 とこれに関連して、「自分は今までの選挙で総裁が誰であろうと自分自身で頑張って戦ってきたものであって、総裁によって自身の選挙結果は左右されない」という趣旨の発言をなさったと読みました。

 

 まさにその通りだと思いまして、若手の議員さん達の、先輩諸氏による自民党苦難の歴史とその戦いについて、敬意も何もないことにぞっとするしうんざりする感じです。

 

 そしてさらに、当選3回以下の議員が集まって派閥に縛られない行動をするみたいなことを言っているようですが、だったら派閥を抜けるべきであると思います。

 

 作家 経済評論家の渡邉哲也氏はTwitterで次のように述べています。私はこのことに100%同意し、支持したいと思います。派閥とはこれ以外に何もいうことはありません。国政の隅から隅までを知りもしない若手議員が派閥を否定するのだったら、抜けて、派閥に囚われない選挙をすれば良いのです。

 

 国士である多くの自民党議員各位が血の滲むような努力と抗争を繰り広げながら、何度も何度も繰り返し煮湯を飲みながらも争って、整ってきた秩序です。それを最も簡単に、上っ面のことだけを殊更あげつらって、否定をするなら抜ければ良いのです。もっと言えば、そういう「輩」は自由民主党さえも抜けるべきです。

 

 自由民主党の長い歴史は派閥あっての歴史と言っても過言ではありません。

 

 渡邉哲也氏Twitter(左をクリックしてください)

 

 派閥の領袖や重鎮クラス それぞれ立場は違えども、お互いにそれなりの敬意の念を抱いている。 歴史のある派閥ほど永田町の礼儀作法にはうるさいのです。 これを否定する人もいますが、それがあるから組織としてまとまるのであり、必要だから淘汰されなかったという話。

 

 そしてさらに、

 政治家は夢を語る。そして、国民と夢を共有させ見せることができるかどうか?天下国家を語るとはこれを言う。

 

 ともおっしゃっています。

 

 前述したような議員ばかりでは、自民党は大衆迎合主義のだらしのない、国家観も何もない政治屋集団になってしまうのではないかと思うのですが、自民党の長い歴史の中では、そういう「輩」は結局、外に出て行ったりして、言い方は悪いのですが野垂れ死するのですよね。

 

 もっというと、この派閥の歴史の中で、私の感覚に過ぎないかもしれませんが、純血主義がわりと強いのではないかと思いますね。

 

 そういう意味では、保守本流とかいろいろな言い方をしておりますが、他政党から移ってきた議員さんはなかなか「主流」や「本流」の位置付けを得られないし、ちょっとやそっとではなかなか難しいものがあるのではと思っています。

 

 そう考えると、高市早苗議員は外から。河野太郎議員の父上は総裁にはなったけど、もともとは新自由クラブを作って外へ逃げた人。石破茂議員も同じような感じ。

 

 これらの方々が、外にいる時には、メディア等に迎合するかのような政治的行動ばかりをして、最後に自由民主党に戻ってきたり、入れてもらったりという感じ。

 

 苦しい時の「自由民主党を守る」という経験がないのではと思いますね。そういう方々を総裁にして良いのか?という考え方の選択肢ってあっても良いのではと思いますね。