安倍晋三前首相の後援会が主催した「桜を見る会」前夜の夕食会収支をめぐる事件で、公選法違反や政治資金規正法違反の疑いで告発され、不起訴(嫌疑不十分)となった安倍前首相について、東京第1検察審査会は30日までに、一部容疑で十分な捜査が尽くされていないとして「不起訴不当」と議決した。

 

 というニュースがありました。

 

 「安倍辞めろ運動」をしていた方々からは大々的に称賛される話だと思います。

 

 一方、その反対側にいる私としてはまったくもって理解できない話でもあります。というよりも、日本の司法制度に絶対的な信頼を持っている私としては、残念に思います。

 

 強制起訴を考える(左をクリックしてください。)

 

 記事中に次のような記述があります。

 「日本の刑事司法が「法治」から「情治」に傾くことを危惧したと振り返る。」

 

 とあります。この一連の桜を見る会の一部の「報道」は、まさに「情治」を煽る内容の報道を繰り返し行ってきたと思います。

 

 事実をストレートに報じるのではなく、ある意図を持って、文字面で「言語的」には逃げを打ちながら、「読者がそう受け取るのは仕方がない。」姿勢を丸出しで煽り続けました。

 

 それらはいわゆる「野党」の言論活動に連動させていました。一部の野党議員の劣化は目を覆うばかりですが、自らの調査ではなく、新聞報道、雑誌報道の検証なき請け売りをし続けました。

 

 この報道ロンダリングによって、あたかも事実の如くのストーリーが作り上げられたのが明白であるにも関わらず、今回のようなことが起きるというのは、本来の制度の趣旨からも外れ、残念なことだと思います。