市の職員との会話で信じがたい話を聞きました。

 

 が、しかし、調べてみるとそれは取り方次第で「パワハラ・モラハラ・ロジハラ」になるのでは。と。

 

 私は、私の善意と好意とで、友人に「人との付き合い方」、「日本語の使い方」について指導した時に次のように連絡がきました。

 

 「私は攻撃されている様に感じています。」

 

 もはや、これでは関係は成り立ちませんから丁重にお詫びを申し上げて縁を切りましたが、何度教えても繰り返し同じ過ちを犯す人に対して強く叱責をしてしまうのは仕方がないことだと思っておりましたが、今の世の中違うようですね。

 

 しかし、世の中が「弱い人」を正義面して、救うような理論を展開して、それを盾にして、「窮状を訴える」仕組みを作り上げて良いのでしょうか?

 

 あり得ないと思います。

 

 なぜなら、対人関係で成り立っている世の中。社内で甘やかす(言葉に語弊があるかもしれませんが)対人関係、指導関係の在り方についての理論がまかり通っていくと、ビジネスで取引先を含め交渉相手とのやりとりに中で、相手の言い分が「私は攻撃されている様に感じています。」とか「それは正論ですけど、逃げ場をなくしちゃあパワハラですよ。」とか「相手がパワハラと感じたらもうパワハラなんです。」とか「今私はあなたと話していて恐く感じています。」といって、取引関係をやめられるんですかね?甚だ疑問です。

 

 ところがこういうこと自体パワハラ体質だそうです。

 

 そうでしょうそうでしょう。それこそがパワハラでしょう。

 

 ということは、社内でパワハラ・モラハラ・ロジハラと言われるような行為を、他社の交渉相手に同じ言葉で、同じ語調で、同じ声の大きさで言われたら、「パワハラです。」と言ってビジネスの交渉打ち切りですか?会社への損害を与えても良いのでしょうか?

 

 先方の交渉相手が、お互いの事業がより良くなっていけるように言っていることでも、受け手が未熟ゆえに受け止められなくて、恐怖に感じたり攻撃されているように感じたりしたら、どうするのでしょうか?

 

 わかってないね長谷川さん、その発想、その考え方自体がもはや時代にあってないんですよ。

 

 そうですかね?私は、そのことを逆利用する小狡い人種が存在することが許せないのです。

 

 私も縁を切った友人の一言でもう萎えましたね。いままでしっかり何事も支えてきたからこそ。と思ったのですが、そう受け止めていたんだ。と思った瞬間、全てが「瓦解した」という感じです。

 

 船橋市役所の中を見ていても多くの職員諸氏は優秀で、前向きで、一生懸命仕事に取り組んでおりますが、ほんの一部、ほんのひと握りの職員がわかったふうな口の聞き方で、世の中拗ねているような負け犬根性的な発言をして、人の顔色ばかりを伺っているような職員がほんの少しだけ散見されるんですよね。

 

 なんともなあ~という感じですが、若手の職員諸氏は、しっかりと全体の奉仕者たる地方公務員の本旨に基づき職務に精励していただきたいものです。