さて、前回まで名称がいまいち明確でなく、よくわからなかったので、「京成大久保駅からの商店街」というタイトルにさせていただきましたが、いま、夜のルーティーンのウォーキングでチェックしながら歩きましたら、どうも一つの名称は「学園おおくぼ商店街」らしいのですが、愛称?ですか?ね?たぶん一連の活動を見ていると法人化されている組合名があるのだと思いますが、それを見つけることはできませんでした。

 

 前回のブログを読んでくださった友人からメッセージが来て、大久保商店街を語るには秋山好古大将のことも、ということでした。

 

 秋山好古大将とは、習志野市のWebSiteに、

 日露戦争と習志野市の関わりは深く、明治34年に大久保に騎兵旅団が設置され、この戦争で、秋山好古将軍率いる習志野騎兵旅団が大活躍したことは、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」でよく知られています。

 

 ということです。

 

 で、ウォーキングついでに撮ってきたのがこの写真。

 

 

 2009年、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」放映に合わせて学園おおくぼ商店街おやすみ処向かいに建てられた好古の顕彰碑。馬を象った石に好古の肖像写真と「天地無私」の書が刻まれています。

 

 詳しくは、「秋山好古 習志野」でググってみて下さい。いろいろと出てきますのでお読み下さい。そのことを前提にちょっと書かせていただきます。

 

 習志野はもともと軍隊の町。

 

 ネットで調べると「大久保商店街協同組合」?ですかね?

 

 で、とにかくみなさんネット検索して下さいな。「習志野」は「市」の名前ですが、ちょいと微妙な部分がありまして、船橋市は「習志野」「習志野台」「西習志野」という町名があります。

 

 習志野市は「東習志野」だけ。

 

 で、私の地元の三山もそうですが、まさにこの秋山大将に関係ある騎兵連隊のあったところです。

 

 ネットの情報でいうと、京成大久保の商店街は、連隊から駅を結ぶところが街として栄えていたことを書いています。

 

 あるネットのページでは、今の済生会習志野病院が国立習志野病院だったのですが、その前は軍隊の病院だった様です。隣の東邦大学が騎兵第十三連隊、日本大学が騎兵第十四連隊、東邦大学付属東邦中学高等学校が騎兵第十五連隊だったようですね。ウォーキング帰りにこの写真は撮れました。

 

 

 もともと、それらの隊舎も含め広大な土地が旅団の敷地だったのだと思います。

 

 私も、町内の相談事を受ける中で、土地の登記簿謄本を入手した時、「官有地」と記載されているものを見たことがあります。

 

 以前ブログにも書いたことがありますが、軍用地だったところですので、いまだに「公共用地」であるところが多いのです。今は移転しましたが、順天堂大学も今の済生会習志野病院の向かい側にあり、東邦大学、日本大学、東邦大学付属東邦中学高等学校、済生会の裏手には、以前は結核伝染病棟、四市複合事務組合特別養護老人ホーム三山園、三山市営住宅、三山小学校となり、日本大学の方へ行くと、以前は習志野警察署、習志野郵便局があり、千葉県営住宅、習志野市営住宅、国家公務員官舎などがずっと続くのです。

 

 そして、ちょっと離れて陸上自衛隊習志野駐屯地と航空自衛隊習志野分屯基地があるわけですが、習志野市のWebSiteには、いろいろと説明をされています。

 

 また少し頭の整理をして続きを書きます。