東日本大震災の発災から10年ということで昨日は様々なメディアで当時のことを含めていろいろな報道がされていました。

 

 改めて被災された皆様方にお見舞いを申し上げますとともに、犠牲となられた皆様方にお悔やみを申し上げます。

 

 まだまだ、それらの心の傷が癒されていらっしゃらない方も数多いと思いますが、どうか心穏やかにお過ごしいただきたいと思います。

 

 自然災害というのは、人間社会の時間軸はまったく意味のないものであって、「10年」というのは、ヒトの世界の話。長いのか短いのかわかりません。

 

 私の記憶では、阪神・淡路大震災が議員になる直前の1月。選挙準備をしている時期で、尚且つ母が癌で亡くなる2日前で出血、入院した日でした。

 

 その後議員になると、雲仙普賢岳の噴火による被害の視察に雲仙を訪問。あるいは、平成19年の能登半島地震後には石川県の七尾市へ視察に。

 

 「自然」の恐ろしさを何度も何度も見せつけられ、「備える」ことの大切さを教えられたのですが、そんなことなど木っ端微塵に吹き飛んでしまうくらいの衝撃が東日本大震災でした。

 

 いち早く現地にボランティア等で支援に入られた方には敬意を表します。

 

 私には、いまだに起こった現実を直視する勇気がわきません。いわき市に何度か入ることができ、さらには福島第一原子力発電所にも伺いました。

 

 しかし、帰宅が許されない地域が存在し、長い間先祖から伝えられ農業を営んできた田畑が荒れ果てている姿を見た時には、言葉もありませんでした。どんなに悔しいだろうか?どんなにつらいだろうか?などと思いながら立ち入り禁止の一般の民家を見ながら福島第一原子力発電所に行った時は衝撃でした。

 

 また、いわき市で区画整理事業をしている地域を拝見した時にも、そこでの犠牲者の数など聞くとたまらない気持ちになりました。

 

 悲しみのどん底のような状況を目の当たりにして、その方々の心中を勝手に推察すること自体が僭越極まりないのですが、どうしても私は萎えてしまうのです。

 

 本当に心の底からお見舞いを申し上げます。

 

 そんな10年目だった昨日ですが、素晴らしい記事を見つけました。

 

 ドキュメント3・11 イギリス大使館はなぜ「真実」を見抜けたか(上)

 

 ドキュメント3・11 イギリス大使館はなぜ「真実」を見抜けたか(中)

 

 ドキュメント3・11 イギリス大使館はなぜ「真実」を見抜けたか(下)

 

 いろいろなことがあったんだなあ~と考えさせられる3月11日でした。