先月から読み始めた、菅義偉内閣総理大臣について書かれた「冷徹と誠実」財部誠一著を読み終えました。前回のこのシリーズのブログの続きです。

 

 

 

 

 都度引用をさせていただき、コメントさせていただきます。

 

 P166

 「なぜこんな些細なミスでそこまで自分が怒られなければならないのか」と思いながら話を聞いていると、菅は横浜市議選の経験を語り出したという。担当者は経験豊富なキャリア官僚である。彼は頭のなかで自分のミスと横浜市議選とがどう結びつくのかわからず、最初は困惑した。

 

 第2章で述べたように、菅は当初、諸般の事情から周囲の反対を押し切って市議選に出馬することになった。裏切る人もいたし、劣勢のなかで必死に応援してくれる人もいた。絶対の存在として師事していた小此木彦三郎や自民党のベテラン議員らが突如、出馬に待ったをかけたのは、彼にとって衝撃だったにちがいない。

 

 その経験から学んだのが、「人の真意や感情を理解する」こと、つまり「人の言葉を鵜呑みにしない」こと、そして「最後は必ず自分で確認する」ことだった。菅の政治家としての原点で得たこの教訓が、損得勘定で動く政治家や、面従腹背で対応する官僚と接していくなかで確信に変わっていったであろうことは、想像に難くない。

 

 「お前は事務局の言うことを鵜呑みにして、仕事を終えたつもりでいた。そんな甘い姿勢でやっていると、必ずどこかで事を仕損じるぞ、と官房長官は言いたかったのです」

 

 朝令暮改は政界の常識、昨日の友は今日の敵である。だからこそ、この世界では自分の意志が何よりも大切なのだ。

 

 これまた重いなあ~と思います。「『人の真意や感情を理解する』こと、つまり『人の言葉を鵜呑みにしない』こと、そして『最後は必ず自分で確認する』ことだった。」という部分です。

 

 「人の真意や感情を理解する」って、文字にするとたった数文字ですが、この意味は物凄い膨大な量の意味があると思います。

 

 「真意」は、なかなかね、日本人というのは、ストレートに言わないケースが多いし、「測りかねる」って感じが多いですね。でも、それによってあれこれ「いろいろなケース」を考えられますよね。裏読みをしたり(笑)。

 

 「感情」も同じですね。ポーカーフェイスであるいは役者のように演技で表情と心の中の気持ちとは裏腹の言葉を発することもありますからね~。また語気を強めて話していながら、実はそんなに意味は無かったり。

 

 もっと言えば、私は声が大きいのですが、それだけで「怒っている」という方がいます。いや「本人が気づいていないだけ」とも言われますが、「他人の話」の受け止め方はとにかく千差万別。受け取る側の気持ちと希望と憶測と様々な思惑が入り混じっての話であって、「真意」なんて、何度も繰り返してその事象の周辺の話を細かく聞いていく以外には聞き取ることなんて不可能です。

 

 ですから、「最後は必ず自分で確認する」して自身で責任を追える状態にまでしない限りは、とてもではありませんが「責任」を負う域にまで達しませんね。

 

 さらに言えば、政治の世界で「損得勘定で動く政治家や、面従腹背で対応する官僚」が一番の仕事相手。ですから、会話も書面もその一字一句を、一語一語を的確に適正に受け取ることが重要で、気をつけないと政治家としての政治生命を失うこともあり得るわけです。

 

 さらに「朝令暮改は政界の常識、昨日の友は今日の敵である。」ということ。このことをしっかりと肝に銘じて政治家と付き合わなければならないのです。

 

 平気で嘘をつくと言ったらひどい話ですが、「朝令暮改」は当たり前ですからねえ~。

 

 それは、また「築地と豊洲」を例に出しちゃいますが、まあ、一冊読んでいく間に何度朝令暮改なシーンが出てくるかという感じですし、まあひどいの一言ですね。

 

 

 

 

 まあ、そんな政治の世界において、いかに誠実に生きていくか?そして官僚と誠実に向き合って国家国民のために働いていくかを書いてあるシーンだと思います。