都政新報記事より

 

 公務とは

 公務員としての職業特性を理解するには、自分たちの仕事である「公務」とは何か。どのような業務特性を特っているかを理解する必要があります。公務の守備範囲をどのように設定するかは様々な要素で決まり、国によって異なります。しかし究極的に守備範囲を狭めた場合に残されるのは、「民間が参入できない。民間に任せたのではうまくいかない業務」となります。儲けが出ない。または収益を目標に設定したのでは最終目的を実現できない。そんな業務です。そしてそれは、住民の命に直結し、安定的に供給することが求められるもので、「公共の福祉」に直結したものとなりまず。また、権力性を伴うものも公務となります。強制力をもって行う業務はその行使に民主的なチェックが必要であるため公務が行うのです。

 

 長谷川

 ここの記述はものすごく的確に書かれていると思います。この意識をしっかりともって、公務に向き合うことがものすごく大切なのではないかと思います。

 

 以前のブログでも書きましたが、私は新人議員の頃「民間では」という単語を枕詞のように使っている時期がありましたが、まさに、「公務」を理解し始めてさらには職員諸氏に「公務」を丁寧かつ的確に説明をしてもらい十分な理解の範疇に入ってきてから使わなくなりました。

 

 むしろ、「民間が参入できる。民間に任せた方がうまくいく業務。儲けが出せる。または収益を目標に設定した方が最終目的を実現できる。」ことに関しては、「民間」という単語を使うことはあっても、真摯に「公務」として取り組み、その目的を達成できていることには、簡単に「民間では」という言い回しはしないようにしてきましたし、しています。

 

 それは、公務ならでは避けて通れない「理由」があったりするからです。

 

 互いに選べない関係

 このような公務の性格から、それを担う公務員には民間労働者と異なる意識、価値観が求められます。互いに「選ぶか選ばないかの自由」がある企業と顧客の関係とは違い、公務組織と住民は原則として互いに「他を選ぶことができない」関係です。そのため、公務員には住民の多様な価値観を理解し、一人たりとも取り残さない「高い人権意識」が求められることになりくます。

 

 長谷川

「それを担う公務員には民間労働者と異なる意識、価値観が求められます。」という部分も大いに賛同するものですが、とは言え、長年の経験から申し上げますと、「市民」は「民間労働者」と同じ価値観を求めるケースが多々求められます。

 

 それが昨今のいわゆるクレーマー案件の増加につながっているのだと思います。従って、その違いや公務だから民間のような意識で撮り圧化ができない事案に関して、十分な説明をするという責任が生じてくるのですが、なかなか納得いただけないものです。

 

 そこで、本来は議員など公務員の外側に居つつ、大きく公務に関わっている人々が、その任の一部を担ってあげることが大切だと思うのです。

 

 なぜならば、市役所に苦情を言ってくる方々の多くの意識には「税金を払っている」「多額の税金を払ってきた」「職員の給料は税金だろう」という類の意識があるようです。

 

 今風に言えば、上から目線、あるいは、マウントを取ったという感じでしょうか。

 

 しかし、実態としては埋まらない意識の溝なんですよね。

 

 民間経験しかなく、公務がなんたるかを考えたりしない人々にとって、自分の経験の方が確固たる優位があるだと譲らないでしょう(笑)。

 

 だからこそ、ここで「公務員には住民の多様な価値観を理解し、一人たりとも取り残さない『高い人権意識』が求められることになります。」ということなのでしょう。

 

 顧客に選択の自由が保障されている民間企業では競争が品質保証の原動力になります。しかし、公務組織では競争原理は組織の特性から働かせようがありません。そのため、品質保証のためにも公務員には高い倫理感が求められることになります。

 

 長谷川

 これは非常に重いというか、常に意識をしながら職務に専念していただきたいものですね。特に「品質保証のためにも公務員には高い倫理感が求められることになります。」です。よく見かけるのが、まさに公務でしか実現できないことだからということで非常に居丈高であったり、まさに上から目線であったりというシーン、あるいは多いのは言葉使いですね。普通の敬語さえも使えない非常識な「公務員」を見ることがあります。いただけません。

 

 また同じ意味合いの部分として「どうせ他ではやっていないのだから、この程度で良いだろう。」と意識で事業に取組んだり、企画をすることが散見されます。これもNGだと思いますね。第一条の二 地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする。と定められているにも関わらず、住民福祉の増進ではなく、自分自身の職務の合理化が優先されてしまう例です。

 

 民間企業は、顧客を選択する自由があります。市場から撤退する自由もあります。しかし、公務組織は顧客である住民を選択する自由を持ちません。もちろん、撤退の自由などなく、誰一人として住民を置き去りにすることは許されません。そのため公務員は社会に分断や差別を作りかねない言葉を安易に使うことは厳に慎むべきです。

 

 長谷川

 「公務員は社会に分断や差別を作りかねない言葉を安易に使うことは厳に慎むべきです。」。私はこのブログにも何度も何度も書かせていただいておりますが、「日本語を大切にする」ということです。

 

 コミュニケーションの最も有効な手段は「言葉を双方で同じ理解にする。」ことだと思っています。

 

 「て」「に」「を」「は」から始まって、単語一つ一つの意味を正確に理解をして住民の方に方々に語りかける。そして、その意味が通じているかどうかをいくつかの角度から話題を振ってみて、理解されていないと感じたら、いわゆる「類語」を使ったり、単語の意味合いを丁寧に幼児にでも話しかけるように説明をすることが大切です。

 

 ましてや文字にする場合、「誤字」「脱字」は絶対にNG(すみません、私このブログ自分で書いて自分でアップしますので、場合によっては誤字脱字があるかもです。)です。

 

 文字は残りますから、まさにそれが一人歩きをして、社会の分断の原因になったり、差別の始まりになったりします。公務員の発言、「発する言葉」「発した言葉」は、職員諸氏の想像を遥かに超えて、それが、場合によっては曲解されたり、増幅されたりしながら違う形で「役所の話」として伝播していくものです。そこを十分に想定した上で、言葉を発するということが肝要です。