先月から読み始めた、菅義偉内閣総理大臣について書かれた「冷徹と誠実」財部誠一著を読み終えました。前回の続きです。

 

 

 

 

 都度引用をさせていただき、コメントさせていただきます。

 

 P126

 菅と香川(財務省の大臣官房長だった香川俊介(のちの財務事務次官))の関係は前章で述べたとおりだが、各省庁にも思惑があった。霞が関はしたたかだ。政策をつくり、実際に国家を動かしているのは我々官僚で、政治家など官僚がいなければ国会答弁一つできやしないと見下している。良識ある官僚は、民主主義の根幹である選挙によって選ばれてきたことに対する最低限のリスペクトは有しているが、それでも真の主役は自分たちだと思っている。

ただし、官僚は法律に基づいた行動をしようとするから、法が定めた役割に対して正しくありたいと考える。だからどんなにボンクラな政治家が大臣になろうとも、その大臣を支えるための努力は惜しまない。

 

 (笑)。ここが国と船橋市役所では違うなあ~と思います。

 

 と申しましても、国における官僚と議員の関係とは制度上の違いがあります。議院内閣制と二元代表制の違いですが、「政治家など官僚がいなければ国会答弁一つできやしないと見下している。」という部分は、地方公共団体においては「政治家など職員がいなければ議会質問一つできやしないと見下している。」というように単語が置き換わります。(笑)。

 

 そして「良識ある官僚は、民主主義の根幹である選挙によって選ばれてきたことに対する最低限のリスペクトは有しているが」は、船橋市役所の場合、「正副市長を始め職員が一丸となって最低限のリスペクトさえ存在しない。」(笑)となっちゃうんでしょうね。(笑)。

 

 「官僚は法律に基づいた行動をしようとするから、法が定めた役割に対して正しくありたいと考える。だからどんなにボンクラな政治家が大臣になろうとも、その大臣を支えるための努力は惜しまない。」とありますが、これも議院内閣制なので政治家が行政府の長になり、省益のために支えざるを得ないわけですが、地方公共団体の場合は、それはまったくありませんから、お気楽なものです。

 

 だから、長の方を見て仕事をする「輩」が増えちゃう。議会が強ければ、本来の見る方向である「住民」を見るのですが、議会が弱けりゃその必要もない。毎日毎日平凡に大過なく業務を終了できれば安泰であるというわけです。

 

 売り上げや利益を考える必要もなく、ただただ上のことを見て、考えてりゃいいだけの話。

 

 「税金」とはなんだという意識さえも霞んでしまう話です。(笑)。