前回に引き続き、菅総理の紹介本(笑)の件です。

 

 

 

 

 の初めの部分に実に興味深く、私の近くで起こったことに共通項を見出せるような事柄が書かれていたので、コメントを入れさせていただきます。

 

 言ってみれば、政治的センスというか、政治的勘所というかについてです。

 

 私は、たかが市議会議員の端っくれでしたが、父からは徹底的にそして随分とセンスを磨くように訓練はされました。それを後輩にもしていたつもりですが、なかなか、なかなか(笑)。

 

 私は一貫してこのセンスを磨く話や勘所を養う話を「お作法」と言う言い方で後輩のみならず職員の方々にも説いていたのですが、職員諸氏は優秀なので、まさにその勘所を理解してくださる方々が数多くいらしたのですが、まあ議員はダメですね。まさに字義通り解釈の方々が多くてねと言う感じですね。

 

 今時の議員は、社会経験なしに等しい方々が多く、お作法を学ぶ場がない議員が多いのです。

 

 私の初当選時は、自営業の議員さん方でも、社会の荒波にもまれにもまれて、当選してきた方々ばかりですから、勘所がしっかりしている方々が多かったのですが、いまはもうてんでダメですね(笑)。

 

 ではちょっと見てみましょう。

 

 「岸田首相」への道が閉ざされた理由

 しかし、安倍にしろ麻生にしろ、以前から菅を後継にと考えていたわけではない。もともとの意中の候補は、岸田だった。各メディアも、かねてから「ポスト安倍」として岸田の名を挙げていたほどである。

 

 その芽はどこで消えたのか。信頼できる某テレビ局政治部の記者に聞いた話によると、ざっと以下のようなことらしい。

 

 岸田は安倍政権下で約4年8ヵ月にわたって外務大臣を務め、忠誠を尽くした。首相主導の外交の時代にあって、裏方の役割に徹した岸田を安倍は高く評価した。出色は2016年5月、アメリカのバラク・オバマ大統領(当時)の広島訪問。安倍外交の大きな成果のように演出されたが、お膳立てをしたのは岸田である。

 

 また副総理の麻生も一つの思惑を秘めて岸田に接近し、「岸田後継」の流れができあがっていった。2017年8月の内閣改造では、安倍は岸円本人の希望を入れるかたちで、首相への実績づくりとして党政調会長に任命した。

 

 だがこの当時から、すでに暗雲が立ち込めていた。このころ、麻生派は岸田が率いる宏池会(岸田派)との合流を画策していた。もともと麻生派も宏池会が源流で、両派が一つになれば党内最大派閥である細田派に次ぐ勢力になれる。いわゆる「大宏池会構想」だ。それによって、麻生は党内主流派の地位を確保することを狙っていた。

 

 ところが、岸田派の名誉会長である古賀誠(2012年に政界を引退)と麻生は、同じ福岡県出身でありながら犬猿の仲。岸田は政界を去った古賀に忖度し、麻生の申し出を受け入れることができなかった。もしこのとき、後見役の古賀と決別して麻生派との合併を実現していたら、総裁レースはまったく違ったものになっていたにちがいない。

 

 この「大宏池会構想」は、様々なライターや評論家が、適宜、書き物としてメディアに載り語られていたので、もはや、逃げようのない話。これを、真正面から受け止めて、落とし所を間違えないように細心の注意を払い「お作法」に基づき、「扱う」べきでした。

 

 「古賀と決別して麻生派との合併を実現していたら、総裁レースはまったく違ったものになっていたにちがいない。」

 

 私はこんな簡単な言葉で表現すべき事案ではないと思います。そうそう簡単に決別などできるものではありませんから、様々なチャンネルを使って、古賀先生を説得すべきだったでしょうね。説得なんてできるわけはないのですが、覚悟をもって誠実に向き合うべきだったでしょう。

 

 この結論には「逃げ」があったと思います。政治家に「逃げ」は絶対に許されるものではありません。やるかやられるかしかないのです。

 

 翌2018年6月の自民党総裁選時には、安倍の信頼も損ねることになる。安倍が三選をめざす一方、岸田の周辺では岸田に立候補を求める声と、自重して3年後の禅譲を狙うべきとする声が対立。とくに宏池会の復権を狙う古賀が出馬を強く要請したという。

 

 これは何がなんでも外に情報が漏れることなく、解決を図る作業をしっかりとするべきでした。

 

 つまり、岸田は安倍と古賀の板挟みにもなったのだ。

 

 そこで安倍と岸田は、調整のために一対一の会談をもった。

 

 そのとき、岸出は安倍にこう切り出したという。「私はどうしたらよいのでしょうか」それを聞いた安倍は落胆した。

 

 こりゃ誰でも落胆しますわ。ここまで手塩にかけてと言う表現でもいいくらい、面倒を見てきたわけです。取り立ててきたわけです。無理もしてきたと思うんです。安倍総理が。しかもたぶん麻生総理としっかりと相談しながら。

 

 肝心なところで古賀の影を払拭できないからだ。

 

 それだけではない。

 

 2019年4月に行なわれた福岡県知事選挙では、古賀が現職の候補者を支持する一方、麻生は自民党本部と自民党福岡県連(福岡県支部連合会)を挙げて新人候補を擁立する。いわゆる「保守分裂選挙」の様相で、県内における古賀と麻生の代理戦争でもあった。

 

 このとき、麻生は岸田に「新人候補の応援に入れ」と“踏み絵”を迫ったという。「今度こそ古賀と決別してみせろ」という意図を含んでいるが、このときも、岸田は決断できなかった。

 

 これ絶対にダメね。麻生総理の最後通牒というか、温情による対応だったと思いますよねえ~。

 

 結局、この選挙は古賀が推す現職知事が勝利した。麻生の岸田への落胆は想像に難くない。

 

 安倍は岸田にさらにチャンスを与えた。2020年3月16日、コロナ禍における国民への現金給付制度の取りまとめを、政調会長としての岸田に託したのである。周知のとおり、当初は「困窮世帯に30万円」という案で自民党内もまとまったかに見えた。それを受けて閣議決定まで行なわれたが、二階幹事長が異論を唱え、公明党が提案していた「全国民に一律10万円」の給付にひっくり返されてしまったのである。

 

 メディアはなぜかあまり突っ込まなかったが、与党の反対で閣議決定が覆ることは前代未聞であり、内閣としてはメンツ丸つぶれだ。この時点で、総裁・総理への道は閉ざされたと考えるのが自然だろう。

 

 だが岸田の人物評はきわめて高い。個人的に貶める声はいっさい聞こえてこない。4年8ヵ月もの長きにわたって外務大臣を務めたが、外務省内の評判はすこぶるよい。もっとも、官僚の評判がよすぎるのは、政治家としての自我の弱さにも見えてしまう。

 

 これなんて、最低ですよね。文中にもあるよう、

 与党の反対で閣議決定が覆ることは前代未聞であり、内閣としてはメンツ丸つぶれだ。この時点で、総裁・総理への道は閉ざされたと考えるのが自然だろう。

 

 メンツ丸潰れ。こういう場合は安倍総理や麻生総理に政治生命を奪われても仕方がないくらいの失態だと思いますよねえ~。

 

 俺だったらゆるさねえ~な。という感じの話です。

 

 「政治家としての自我」という表現がありますが、大いなる勘違いで自我が芽生える議員って多いんですよね。特に議長経験者。私が難儀した議長が一人おりましたね。何をどう勘違いしたのか、誰に議長にしてもらったのかという感じで、先輩議員と私とで議長室でその自我の芽生えた何もできない議長を怒鳴りまくったことがありましたけど、そいつ以外でもたくさんいましたね。自分の力で議長になったと思う人って。(笑)。