を購入しました。まだ読み始めたところですので、なんとも言えませんが、以前書いたように、地方議員出身で内閣総理大臣になられた方が、就任早々打ち出した政策が、あまりにも私の考えに一致するところが多く、興味を持ったからです。それは地方自治の問題意識が如実に表わされている政策だったからです。

 

 新しい総理が誕生すると近いジャーナリストが今回のような形で緊急出版の形をとって総理の人となりを紹介するのが常ですが、いままでそのような本を手に取ったことはありませんでした。

 

 過去においては、概ね、私自身の活動の中で、そこそこの関わりがあったり、そこそこの情報が手に入ったりしていたからですが、今回の総裁選挙に立候補した先生方よりお若い世代の先生方との触れ合いは、団体活動から遠ざかっていることもあり、あまり情報もありませんし、関わったこともありませんでした。

 

 私が申し上げているのはパーティの席などで一緒に写真を撮影させていただくようなことではありません。

 

 少人数での食事の席や、個別に意見交換等をする席に同席させていただくような機会を言いますが、そういう意味では菅総理はまったく関わりのない先生でした。

 

 にも関わらず、考えていることや問題意識のおきどころがたぶんほぼ同一であるのではないかと思ったからです。

 

 そして近しいジャーナリストの方の著述であれば、まあ、ニアリーイコールという感じで捉えて良いだろうと思い、購入いたしました。

 

 毎度のことながら、触りの部分を引用させていただこうかと思いましたが、プロローグの部分も少々長めかなという感じでしたので、それの書き出しの部分だけをまずは引用させていただきます。

 

 そもそも、興味を引いたのは、タイトルにもあります。

 

 私は政治家というのは、誠実でありつつ、冷徹であるべきだと一貫して思っていて、それは、議員になる前に父が政治家として知らず知らずに教え込んできていたものでもあります。

 

 従って、私は平成7年の初当選から、極めて誠実に取り組んできたと自負しております。

 

 そういう意味でも、今回はしっかり、一字一句、噛み締めながら読み進めてみたいと思います。

 

 プロローグ手土産は秋田の稲庭うどん

「総務大臣だった菅義偉さんとお付き合いはありますか?」

私にそう声をかけてくれたのは、三井ホーム社長(当時)の生江隆之だ。2009年8月の衆議院議員選挙で民主党に惨敗し、自民党が下野した直後の9月のことだった。生江とは彼が三井不動産の専務時代に、取材ですいぶんお世話になって以来の付き合いだった。

 そのころ、私はテレビ朝日系列の報道・政治討論番組「サンデープロジェクト」にコメンテーターとして出演し、毎週のように政治家と顔を合わせていた。番組への出演は15年の長きにわたったので、そこで出会った政治家は数知れない。生江も、私に政界人脈があるにちがいないと思い、「もしお付き合いがなければ、ぜひ菅さんを紹介したい」と言ってきたのだ。

 もちろん政治家の知り合いはいなくはない。しかし政治家は多様な顔をもつ。自らの信念で動くときもあれば、利害で動くときもある。

自主独立のジャーナリストである私は、よきにつけ悪しきにつけ、政治家と一定の距離を置くことをいつの間にか身につけていた。だから番組で言葉を交わすことはあっても、個人的に付き合うことはほとんどしていなかった。

 ところが、菅の場合は少し事情が違った。生江だけではなく、自民党が下野したとたんに菅を私に引き合わせたいという人が、続々と現れたのである。それもみな民間企業の人々だった。経済界と政界は切っても切れない、持ちつ持たれつの間柄だ。だが、経済ジャーナリストの私に特定の政治家の話をしたり、ましてや紹介に発展していくなどは皆無であった。経済人が、自分と関係が深い特定の政治家を明らかにして会話することなど滅多にない。

 菅の選挙区である横浜で講演会をすると、決まって「菅さんを知っていますか?」「会ってみませんか?」と声をかけられた。政治とは直接関係のない民間の方々ばかりだ。極めつけは当時、東京海上日動の横浜支店長だった私の実弟まで「菅さんには会ったほうがいいよ」と言ってきた。

 なぜ誰も彼もが「菅さん」の名前を出すのか−。もちろん菅義偉の名前は認識していた。2006年9月の第1次安倍政権で総務大臣として初入閣し、わずか1年弱の任期中に「ふるさと納税制度」をつくってしまった辣腕の印象はあったが、それ以上のことは知らなかった。いったいどんな人物なのか、好奇心が沸々と湧き上がってきたタイミングで、生江のお誘いをいただいたのである。  

 自らに課した「政治家とは距離を置き、一線を画す」という禁を破り、私はそのお誘いを受けた。2009年9月29日、場所は銀座、交詢社ビルの5階にある天ぷら店「一宝」の個室だった。

 

 さてプロローグはまだ続くのですがここまでにします。

 

 もちろん政治家の知り合いはいなくはない。しかし政治家は多様な顔をもつ。自らの信念で動くときもあれば、利害で動くときもある。

 

 まさに的を射ていると思いますが、政治家とはものすごく多様な顔をもつと思います。このバランスがものすごく重要で、このバランスと使い分けができない、あるいは理解できない者は政治家として大成しないと思っています。

 

 先日も企業の経営者の方とお話をしていて、あ~、この方はある意味「政治家」を理解している方だな。と。

 

 ご引退をしている政治家の方に関して、いろいろな角度からのお話をなさった後に、だからあの先生はあれでいいんだよ。立派に仕事をこなして、それぞれ頼ってきた人のためになったんだよな。と。

 

 実は、その考え方も私とは一致していて、私のその先生像はまさにその通りであって、それ以上でも以下でもないという感じなのです。

 

 そういう意味で、内閣総理大臣というのは、メディアがかなり偏った書き方をするケースが多く、さらには犯罪者であるかのごとくに仕立て上げることも数多く、その不条理不合理にいや~な気持ちになることが過去に随分とありました。

 

 有名税だよなんて言って笑う人もいますが、ここ数回書かせていただいている「字義通りの解釈」で政治を語るのは本当にいやなものです。

 

 私が最も近くお世話になったのは森喜朗総理だと思いますが、森先生だけではなく、以前のブログにも書かせていただいたように、数多くの自民党の幹部の先生方、大臣経験者である先生方と触れ合ってきていますが、そのすべてがと言って良いほど、素晴らしい方々ばかりでありまして、もうすでに菅総理叩きが始まりつつありますが、それって、直接的に触れることのできないかわいそうな人たちだなと思いますね。

 

 メディアの情報だけで、総理を批判したり政権のやることなすことを批判していますが、どうかと思いますね。野党もその多くがそう。どうせレベルの低い批判(新聞や週刊誌記事並)をするのだから、正確で高度な情報など出すもんかとなるのは当たり前の話で、真っ当な情報さえも持ち得ない国会議員ほど惨めなものはありませんね。

 

 そういう政界にあって、日本経済を支える様々な産業界のそれぞれの立場を代弁するのが政権与党の議員の仕事でもあり、国会議員と国権の最高機関の構成員として矜持を持ったその政治家としての信念とそれに取り組む心底の誠実な心があって初めて政治家と言えるのであろうと考えます。

 

 経済界と政界は切っても切れない、持ちつ持たれつの間柄だ。

 

 これは、私の政治家としての原点に位置する考え方です。著者は「経済界」という書き方ですが、私はわかりやすく表現すると「産業界」と「政界」は切っても切れないという意味合いも含んでいると思います。

 

 前述しましたが、日本国を支え国家として運営していくために必要なものが経済でありその基本である各種産業界の健全なる発展のための政策が必要であることは言うまでもありません。

 

 しかし、過去から現在にいたる政治の歴史の中で、日本的倫理観によって、政治と産業の線引きや距離感の構築がうまくできず今日に至っているというのが実際のところではないでしょうか?

 

 ちょっと長くなりましたのでこの辺で。