非常に興味深いネット記事がありました。是非お読みになったらいかがかと思います。

 

 「安倍政権を引っ張った官邸官僚」を菅首相が一掃した本当の理由

 (上記をクリックしてぜひ全文お読みください。)

 

 ちょっと意外だったのが、財部氏がこういう記事を書くのか~ということ。

 

 総理って、文中にあるように「自民党の長い歴史の中でも親譲りの「地盤、看板、カバン」のまったくない非世襲議員が総理総裁になるのは約30年ぶりだ。というように、特に地方議員出身での自民党総裁、内閣総理大臣って随分前ですしましてや政令指定都市とは言え、市会議員出身というのはかなりレアな感じです。しかし、打ち出した政策やその視点というか、目の付け所が十分にというか十分すぎるくらい理解できるものであります。

 

 横浜市会議員としていかに真面目に取り組んでいたかがわかる気がします。そして、国政に出てからも常に地方行政に目配りがあったものと推察をいたします。

 

 さて、文中に、

 事実、菅は第1次安倍政権で総務大臣となりふるさと納税制度を導入する際にも、また官房長官時代にも総務省の局長を左遷している。飛ばされた本人が実名で告発するのだから説得力がある。だがこの元総務局長に対して霞が関から同情の声は聞こえてこない。それどころか取材をしてみると他省庁の局長クラスからは芳しくない評判が伝わってきた。菅に近いある某省の局長は「左遷されて当然の役人だった」という。

 

 という記述がありますが、政治家が制度上行政府の長になったとしても、無闇矢鱈に人事など行うわけもなく、ましてや自分だけの判断であるいは自分だけの経験で人事を行うなどよほどのおバカじゃなきゃやるわけがありません。

 

 慎重に慎重を重ねるようにして、様々な方面から様々な尋ね方で情報を取ったのちに人事は行うと思うのです。

 

 ましてや、失礼ながら、私大出の地方議員出身国会議員は、前述の「地盤、看板、カバン」に恵まれた世襲議員や、官僚出身の勝手知ったる議員、法律に詳しい弁護士出身議員、業界団体出身議員などとは、そのレベル差は大変なものだったと思います。もっというと、政界遊泳術に長けていても、自民党政治の中ではある意味ハンディキャップを負っているような、なんというんでしょうか?なかなか難しいものがあったと思います。

 

 そういう中で、アホな「人事」を行えば、そもそもの生き方に影響が出てくることは地頭さえ良ければわかるもの。ですから、メディアの面白おかしい人事権を使った恐怖政治は「虚構」だろうなと思っています。

 

 次にその通りだなと思った一文が、

 一方で、菅の考える「政治主導」とは何か。ある側近の話では、菅はどんな仕事でも決して官僚任せにはしないという。どれほど信頼する相手でも、「あとは頼んだ」「よきに計らえ」ということがない。その強烈な危機管理意識の高さがあったればこそ、安倍政権は7年8カ月の長きにわたり、政権を維持することができた。

 つまり、菅はそれだけ自己責任意識と警戒心が強い。政治家は国民から選ばれた時点で民意の体現者であり、国民の幸福のために政策や方針を打ち出し、最後まで全責任を負うと本気で考えている。総理になってもその姿勢はまったくかわらない。

 

 私が考える公務員との距離感って、ちょうどこんな感じかなと思っていました。言い方を変えると、どんな信頼していても、決断をして責任を負うのは「政治の側」だと思うのです。

 

 よっしゃよっしゃで、何かあったときに、役人の側が「責任を感じてしまう決定の仕方」は絶対にダメだと思うのです。

 

 それは、私自身もそうだ!!と思っていることが次の一文です。

 

「霞が関の役人たちに萎縮があるとすれば、それは、役人の側の『私心(出世願望、上昇志向)』が『公益(上奏してでも正しいと信ずることを主張しよう)』よりも優っているからです。極端に言えば、萎縮=私心の現れであって、役人のしようもなさを物語っているとも思います」

 

 これは霞ヶ関に限らず、地方の公務員にも言える「心理描写」(笑)かなと。

 

 そういう人たくさん見てきましたし、そうでは無い人もたくさん見てきましたから。(笑)。

 

 この記事中にある、筆者の著書買ってみようかな。と思います。