前回の久しぶりのブログで「字義通り」という言葉を使いました。字義通り解釈とでも言うんでしょうかね?

 

 今日、朝の報道番組でエコノミストの方が、補正予算で国土強靭化対策を盛り込むのは、「クソ味噌一緒で当初予算で扱うべき」みたいな発言をし、甘利自民党税調会長がにやりとしていました。

 

 さて、私は佐賀県のコロナ対策での誓いの鐘の予算否決というニュースで、なんともなあ~と思いました。

 

 ここまで日本全国地方議会も劣化したのだなと。

 

 私は最初に佐賀県がコロナ対策予算で鐘を購入ということでニュースになっている時、気になって知事がどんな方かググってみました。東京大学卒業の元自治官僚(総務官僚)。

 

 だとしたら、その意味は深く、思慮深い決断だっただろうな。と。

 

 過去次のようなブログを書いておりますが、私は公共事業がもたらす経済効果というのはしっかりとあると思っている者です。

 

 公共事業の乗数効果(左をクリックしてください。)

 

 これもいいし、あれもあるし(左をクリックしてください。)

 

 昨日も元企業経営者の方とじっくりお話をしたのですが、船橋市のインフラ整備に貢献した方。主に大橋市政の時に公共事業を数多く請負い、藤代市政で会社を殺された感じ。

 

 しかし、立派な経営者で、人様に迷惑をかける形での会社の終了ではなく、円満終了という感じで、尊敬に値するお話でした。

 

 さて、公共事業によって会社の経営が成り立ち、それによって新たな消費や投資が行われるのは誰が考えてもわかること。

 

 コロナ対策予算で「鐘を買う」は、字義通りに考えればとんでもないこと。でも、総務省出身の知事が、国と相談しないで予算化する案を作るだろうか?と考えた時、私の結論は「否」でした。いや、本当に相談も何もしていないかもしれませんが、私は「公」が「鐘」を買い、「設置」をする。という経済行為で、今般の様々な新型コロナウィルス関連の経済対策で、地元経済や、地元産業、あるいは守るべき地元固有の技術の危機があったとしたら?私は「コロナ対策」と言ってもう良いのではないかと思うのです。

 

 さらには、あまり知名度や観光地としての人気度が低い「S・A・G・A」佐賀を売り込む起爆剤にもなるかもしれません。お笑いタレントのはなわで佐賀県がブレイクしたのはもう20年近く前ですから、様々な思惑があったのだと思います。

 

 行政に携わる者というのは、「字義通り」でなければならないという部分があるのはいうまでもありません。しかし、真逆に「その文字の裏側にあるものは」と立ち止まるセンス、知識、経験、度量などがなければなりません。

 

 そう書いている時に思い浮かぶ議員がいるのですが、お勉強のできる偏差値教育の権化のような議員がいます。その机上の知識だけで「即決」「即答」「即質問」をすることが、俺って優秀だろう~って得意げになっていますが、優しい言葉でいいません。おまえ字義通り症候群ではないかどうか一度診察をしてもらった方がいいよ。と。

 

 否、そいつに限ったことではありません。

 

 デジタル社会の弊害と言ってもよろしいのではないかと思い始めている昨今です。ゼロかイチか?というデジタルの世界。二者択一だけの世界。

 

 非常に危険だと思います。字で書いてある通りだけの、その文字の持つ直接的な意味だけでの解釈。

 

 日本語を軽んじる社会がものすごくいやな怖い感じがします。

 

 私は、初当選時から、「て」「に」「を」「は」のたった一文字で議会が紛糾し、場合によってはその地位を追われるようなシーンを何度も見てきました。だからこそ日本語をものすごく大切にし、細心最大の注意をしてきました。

 

 しかし、いいかげんな議論しかできない議会においては「あとから会議録を修正すればいいじゃん」という「軽さ」で言葉を発する「輩」が増えに増えているのが実態です。

 

 話を戻しますが、公共事業(投資)による経済効果というのは、ありとあらゆる産業に満遍なく「影響」を与えられるものだと思います。

 

 単純に経済のサイクルを考えていただければ明白ではないでしょうか?

 

 そして、新型コロナウィルス(COVID-19)に関連して、疲弊した経済を「公共」によって、可能なかぎり「それ以前」に戻していくためにはなりふりかまっていられないと思うのです。

 

 但し、今回の国の様々な施策で見え隠れするのは「『不良経営者』の淘汰」はあって良いと思います。意図的に悪質に公的義務を果たしていない経営者は退場してもらおうということですね。

 

 さて、鐘に戻りますが、大きな鐘は材料を作る人。鐘を作る人(加工する人)。設置工事をする人。お披露目の会を準備する人。説明する資料を作る人。設置後に見にくる人の交通費。記念写真を撮る人のカメラの代金。などなど。

 

 (笑)。今この続きを書こうとググってみると、出るわ出るわ。いろいろと。(笑)

 

 ある新聞の記事に「何がコロナ対策なのか直感的には理解しにくい。説明が必要ではないか」という一文がありました。私の申し上げたいことが凝縮されている感じですが、「直感的」にだけで発言や判断をする傾向が強い世の中ではないか。と思います。

 

 この記者は、説明によっては認められるよという余地を残していますが、否決した議会はその思慮がなかったと思われます。(笑)。

 

 ランドセルや電光掲示板、トイレの改修、ライトアップ、公用車の購入など記事検索ではたくさん出てきますね。

 

 市場にというか世の中にとにかくお金をまわるようにどんどん入れるという意味は理解してあげなければならないと思います。

 

 さて、長くなりましたので字義通りに関して最後に一つだけ。以前書いたことがありますが「議場で立ち小便論」です。ルールブックに書いてないからやっていいだろう的なことをいうアホな経験年数の少ない議員が増えています。

 

 これも字義通りの典型だと思います。