本質の議論をしましょうよ!ってよく言われました。船橋市議会の皆さんは、些末な話が多くて、本質の議論に入っていかないですよね。と。

 

 TwitterのTL上で興味深い記述を見つけました。

 

 藤原かずえ氏のものです。(左をクリックしてください。)

 

 モリカケ桜は、身近で些細な課題の議論に対して過剰反応する【パーキンソンの凡俗法則 Parkinson's law of triviality】に整合する事案であり、野党とメディア主導の国会のワイドショー化の象徴でした。どれだけ必要な議論が停滞したか、国民はいい加減気づく必要があります

 

 との話。この「パーキンソンの凡俗法則」に興味を持ちました。

 

 ネット検索をすると「自転車置き場の議論」ものがたくさん出てきます。読むとなるほどなあ~。

 

 さて、多くの地方議会はそろそろ決算議会。この重要性に気づいていない地方議員がたくさんいます。

 

 使っちゃったものはしょうがない。とか、不認定にしたところで、なんの効果もない。とか、まさに本質の議論の置き去りです。

 

 船橋市議会もその例に漏れず、私の現役時代も私を含めて、些末な議論がほとんどでした。

 

 今度お呼ばれしている議員対象の研修会で話そうかと思っているのですが、議会の最も大事な仕事の一つである予算、決算、政策をどう回していくか?の基本の「き」なのですが、決算がスタートという意識が地方議員には少ないのです。

 

 年度当初の予算を審査する議会において、細かい個別の事業について質問をしたりします。委員会で聞くならまだ救いがありますが、本会議において聞く議員には流石にのけぞりそうになりました。

 

 予算の議案というのは、以前にも書きましたが、予算の議案も決算の議案も次の範囲が基本です。予算書は所詮は資料に過ぎず、質問の対象にすべきではないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この表までが議会マター(画像は予算ですが決算も同様)。

 

 予算は、これから執行するものですから簡単にいうと何を質問しても「仮定」の話です。決算は「結果」について「過程」も含め、ありとあらゆる説明を求められるものです。その説明に関して、必要であればその説明を「補足」する資料や証憑書類を求めることもできます。

 

 結果が出ていることですから、反省事項も事実に基づいた市民意見も聞くことができます。もっと言えば、それらを基礎に「議論」が成り立つのです。

 

 もっというと、予算を認めた議会の結果責任として、改善要求もできるわけです。

 

 予算において、始まってもいない、使ってもいない予算をあ~でもない、こ~でもないという極めて生産性の低い議論に時間を費やすことがいかに無駄かを意識できないことは残念です。そういう私もやっていた話ですが、今は反省をし、いかにそれらを改善すべきかをしっかりと頭の中の整理構築をしているのです。

 

 決算を基に、次年度予算をどうすべきか?どこを改善すべきか?その議論こそが大切で、決算に関しては、多くの予算執行に関わる関係者の実情、実態を聞く機会を設けるべきだと思いますね。とりあえず、画像で長くなりましたので、この辺で。