簡単にアナログ頭とデジタル頭とっていう単純な両極の切り分けではなく、デジタル頭を理解するアナログ頭と、アナログ頭を理解するデジタル頭とがあっても良いのではないか。という問題提起です。(笑)。堅苦しく考えないでいただきたいのですが、なんだか今の世の中に欠けている、双方を思いやる意識をここにフォーカスしたらおもろいんちゃう?っていう程度です。

 

 実は、ある障害福祉か児童福祉の領域かはたまた両方かという事案に対して相談を受けまして、ちょっと前向きに研究しながら考えてみようと思っています。

 

 既存のというか先発で動いていらっしゃる方がおりますが、そのことをチェックしている中で、今回のブログに書く内容を思いつきました。

 

 若くしてその領域で民主党政権に重用された方なのですが、私には強くそういうものではない。という意識が強い感じです。

 

 その領域を世間に知ってもらうための手段として、メディアを多用するために上っ面だけのことでなんでも進める民主党と思惑は一致したのでしょう。その領域では一躍改革派の旗手のような感じでもてはやされました。そこへのやきもちではありません。

 

 私は、その領域は過去の方々の努力があって現在があり、その歴史を踏まえた上で未来もあって然るべきだろうと思っている領域です。

 

 ブログタイトルと何が絡むんだという感じですが、失礼ながら生まれた時からIT時代、IT世代の方々は、極めてスムースにデジタルの仕組みを受け入れ、あたかも呼吸をするかのようにITを駆使します。

 

 従って、全部が全部そうだとは申しませんが、多くの方々がゼロかイチかのデジタル頭で物事を思考していく傾向の強い方が結構いらっしゃいます。簡単にいうと、人との関係の機微が全く理解できないという方です。

 

 それが、日常的になっていると、もはや「長谷川さんの言っていることの意味がわからない。」となってしまうのです。

 

 昨日も先輩との定例の雑談会に行ってきたのですが、私からの質問でなんとなく謎が解けた感じがしたのです。

 

 私は、会社員一年生の時、小さな映画館の担当もしていました。販売促進の一環として、誘客のための映画館です。ららぽーとに配給会社系の映画館がありますがそれではありません。株式会社ららぽーと直営の映画館なのです。

 

 私は一歩踏み込んだ側の担当者でしたので、配給関係の会社の方々や、環境衛生同業組合の方々とお話をさせて頂く機会がありました。その時の映画館ですが、普通の映画館は「アナログのフィルムを映写機にかけて上映する」映画がほとんどでしたが、私が担当した映画館は、映画そのものはまだアナログと言っても良い高品質の「ビデオテープ」にコピーをしたもの、これをデジタル機器を使って制御するものでした。

 

 従って、通常の映画館は映写技師が35mmフィルムを映写機にかけ様々な動作をこなしていたのですが、私が担当した映画館は、ビデオテープをデッキに入れスイッチを押すと後は全てが機械にお任せ状態でした。

 

 ところが、それはアナログからデジタルへの「過渡期」であり、一部アナログ、一部デジタルという時代でした。しかし機器もソニー製で、配給も大手配給会社のもので、カッコは良いものでしたが、プロジェクターの不具合による「色ズレ」などが多発して、休館することが多く、大変だった思い出がありました。

 

 そこで、その世界に詳しい先輩にその辺の現状を伺ったところ、いまや、映画の撮影から上映までほぼ100%近くがデジタル。

 

 だから映写技師もいらなきゃ下手すりゃ「フィルム」を知らない人の方が多いだろうと。

 

 それによって、シネマコンプレックスが出現し、上映作品のコントロールがしやすくなり、観客動員数の把握も、著作権保護も何もかもが厳格にできるようになったという説明をいただきました。それによって衰退化の一途を辿っていた業界に歯止めがかかったそうです。

 

 なるほど~。いまや、動画の撮影もスマートホンで当たり前にできる時代。4K動画が当たり前の時代になっていますが、今の映画はほぼ4Kが主流で、本来の35ミリフィルム映画の画質は8Kらしいですが、現在の上映館での映画でも遜色ないような気がしますよね。

 

 というところで、動画も静止画写真もスマホで撮るものと生まれ育った方々に、動画や写真でプロが重視する「陰影」だとかの話をしてもぽか~んって感じなのだろうなとい思いつつ、デジタル頭の、デジタル基礎頭の人たちに、世の中の事象の深く突き詰めたときの「問題点」の話は難しいのだろうかと思ったところです。

 

 ニュースで「へずまりゅう」逮捕の話から迷惑系YouTuberの話が話題になっていますが、十分な教育(家庭でも学校でも地域でも)を受けていないと、人が迷惑だと思っても、迷惑よりも「目立つこと」「PVをかせぐこと」が優先してしまって良いという価値観が生まれることに危惧をしているのです。

 

 優先順位の決め方にゼロかイチかの判断基準しか持ち合わせないということの危惧です。うまく表現できませんが、一番最初の話に戻りますと、福祉の領域の話にメディアにガンガン登場できるような「ノリ」で仕組みを作り、こんなにぼくらは困っています。苦しんでいます。だから公的援助が必要です。っていうストーリづくりに、民主党政権が、前任者否定のために乗っかり、「そうだそうだ、自民党政権は弱者には冷たい政権だ。」みたいにしてキャンペーンを繰り広げた人が関わった領域です。

 

 福祉に対する公的援助の根幹を揺るがすような部分さえもあり、私がもっとも軽蔑する手法をとった人の領域で、実際に困っている人に本当に必要な援助をもたらそうという発想をしたときにどうなるんだろう。耳障りの良いことばかりをいう正義の味方みたいな感じのいやらしい勢力との違いを出しながら事業を進めていくのは大変だな。などと思いながらゼロかイチかから、なぜ、ゼロイチではないのだろうか?を思慮深く考えられる世界が欲しいな。と。

 

 中には、それはアナログの時代。今は、ゼロイチでの選択しかないんだよ。というのがへずまりゅうに代表される人種ではないかと、ここでゼロイチの選別をしている私がいることに反省しつつ、悩んでいる長谷川です。