日曜日の朝の報道番組で大野埼玉県知事、黒岩神奈川県知事が出演して橋下徹元大阪府知事と意見を戦わせていました。

 

 そして、週明けで菅官房長官の「圧倒的に東京問題」との発言に不快感を示したとされる小池百合子。この三者の知事としての実力は圧倒的に大野知事がその実力を見せつけた感じです。

 

 というか、私の考える首長のあるべき姿と近い感じがしました。小池百合子はもうどうしようもないおバカさんだなと思ったのは、初期段階で国の責任論を言っていて、吉村大阪府知事などの尽力によって、地方公共団体が責任を持って決定権をもっている言質を取ったはず。

 

 それなのに、いまだに「国が~国が~」と責任転嫁を続けている感じ。黒岩知事は以前にも書きましたが、あくまでも公務員の受け売り的発言ばかりで全てが公務員志向の言い訳にしか聞こえません。

 

 一方大野知事は、法的問題も自身の言葉として咀嚼できたものを発言していて、さらにはその行動でわかるように、「埼玉県、対策不徹底店に休業要請 キャバクラなど13日から」という時事通信の記事にもなっています。

 

 黒岩知事などは、補償とセット補償とセットと鸚鵡みたい。地方分権の本旨は、地方のことは地方で責任を持って自ら考え、自ら行動することです。そして、それらを法の趣旨に照らし合わせて、合理的な範囲であれば、「解釈」を柔軟にして、国は対応する。ということだと思います。埼玉県はやって結果を出して、予算を回せというのでしょう。

 

 黒岩知事や小池百合子は出すって言わなきゃなにもしない。という役人根性丸出しの役人の手先に過ぎません。それは政治家ではない証拠。

 

 政治家は自分の政治生命をかけて行動すべきでしょう。特に、COVID-19のような「未知のウイルスの仕業」には、政治的行動に関しては論理立てて説明をすることが重要で本来は結果責任を問うべきでは無いと思います。だから、大野知事のように、一歩踏み込んでも知事の政治家としての法解釈の説明を最終的にはすることができればそれで良いと思うのです。

 

 今は、地方公共団体の執行責任者を個人的に訴えることもできるが故に、公務員が萎縮する部分があるのですが、私はCOVID-19対応で、首長が訴えられても、よほどのことがなければ責任を問われることは無いと思います。

 

 一方、政治的責任、言ってみれば愛知県の大村秀章みたいにリコールあるいはリコール運動をされる可能性というのもありますが、これは簡単に言うとなかなかハードルの高い政治責任の負い方であり、それ以外にも議会から不信任の決議などいくつかのことが事象としては考えられますが、決定的なダメージにはなりにくいものです。

 

 ですから繰り返しになりますが、今回のCOVID-19対応というのは、政治家たる公選の首長が自ら考え自らの信念で最終ジャッジをして職務を執行していくべきであって、「逃げて」いたり、「責任転嫁」はできないものなのです。

 

 なのでいよいよ小池百合子の化けの皮も剥がれてきている感じです。