さて前回に引き続きなのですが、片山先生の本からです。少々、このシリーズのブログを書き始めた趣旨からは外れるのですが、気になるものでしたので、いくつか取り上げてみたいと思います。

 

 

 

 

 からです。

 

 次のようなコラムです。

 

 そもそも、片山先生の論を引用させていただいているのは、地方政治を語っている大学の先生方は何人かいらっしゃるのですが、私が色々と調べ物をしている中で、現場を知らない感じがする机上での話に終始していて(空論とは言いません、一つの形としてはOKです。)、もちろん若干は現場チェックをしている節はあるけど、それで全部とみなしているところがいやだなあ~と思うきっかけで、片山先生の場合は、「自治官僚」「県知事」「総務大臣」「大学教授」という上下前後左右全方位で「経験」のある先生で、非常に中立的と言うか、法令解釈がしっかりあって、その法の趣旨をしっかり理解して(当たり前の話ですが)、持論を述べていらっしゃって、その多くの部分に賛意を示したいと言うか、「仰せの通りでございます。」状態であります。

 

 ある意味、私が目指している地方議会像というのは片山先生の持論と師匠であります江藤俊昭先生の持論との合わせ技みたいな部分です。

 

 では引き続き片山先生論です。

 

 地方議会への違和感 定例会から定例日開催に

 ほとんどの地方議会は年4回の定例会方式を採用している。定例会には会期が設定され、市議会であれば2週間から3週間とするケースが多い。

 

 最近この方式を変えて、通年制を採用する動きが見られる。1年を通じて会期とすることが2012年の地方自治法改正により可能となったからである。

 

 通年制の導入は、定例会ではなく例えば毎週決められた曜日に定期的に議会を開く定例日方式を採用することが想定されている。定例日方式のもとでは議会のスケジュールを予見できることから、より多くの住民が議会に参画しやすくなる。また、これまでとは異なる議会運営のやり方を可能にすることも通年制導入のねらいだった。ところが、通年制を導入した議会でも、肝心の定例日方式を採用するところはほとんどない。

 

 では、通年制を採用したほとんどすべての議会ではどんな議会運営をしているのか。いくつかの議会のこれに関する条例を見ると、たしかに年間を通した会期を設定しているものの、実際に議会を開くのは6月、9月、12月及び3月などと定めている。これでは従来の定例会を名ばかりの通年会期の中で開くのと同じで、単に議会を招集する手間が省けるというほどの意味しか持たない。

 

 日本では定例会・会期制が当然だと思われているが、欧米では当たり前ではない。例えばアメリカの自治体議会ではまさしく定例日方式が採用されていて、決められた曜日の決められた時刻にregular meetingが開かれるのが一般的である。

 

 もちろん、欧州で始まった議会の歴史的由来をたどれば、定例会・会期制にも理由がないわけではない。議会制度に詳しい大山礼子氏によれば、市民革命以前のヨーロッパでは、議会は特定の議案を審議するために期間を限って召集される臨時の機関であり、その活動期間を会期と呼んでいた。議会が召集された時に国王から付託された議案を審議し、結論が出れば閉会することを原則としていた(『日本の国会』岩波新書)という。わが国の地方議会の現状は、その頃の議会と実によく似ているではないか。

 

 先生の論は次にも続いていくので私のコメントをここに挟むのは適当かどうかと思いますが、区切りで少々コメントを。

 

 まず、概ね年4回定例会で会期2~3週間としていたのは、地方分権が始まる前の時代で、まさに国の下請け機関のような仕事をしていた時代の地方公共団体の役割とその決定過程というのは、それで良かったのだと思いますし、実際にそうでした。

 

 ですから、ここで大山礼子氏の引用がありますが、国会で決まった事項に関して予算措置や条例制定などをしなければならない事項が出てきた場合に、その「特定の議案」の審議をするための議会でした。しかも、国政で決定済みのことですから、基本はそれに基づく国からの指導による条例案などで、修正など我が街に見合った修正などと言う感じでさわれる余力もなく、基本はご随意にという感じで、賛成多数で決めるべき事項にすぎなかったのです。

 

 しかし、現代社会において時の流れはめちゃくちゃ早く、国は最先端のICT技術を取り入れながら行政運営をしていて、社会経済の動きに歩調を合わせるべくスピード感を持って様々な政策決定をしております。

 

 だからこそ地方分権もどんどん進み、スピード感を持った対応ができるような地方分権絡みの法令の整備が進んでいるのですが、それを理解できない「地方議会」が数多く存在するのが実態であり、同時に執行機関たる地方公共団体の首長以下の執行機関、補助機関などが時代錯誤的行政運営を行っているのもこれまた現実として存在しています。

 

 従って、法治国家である我が国において様々な法令がスピード感を持って制定、改正されても全く追いつかない地方公共団体の存在が、地域格差を助長していると言っても過言ではありません。

 

 例えば、船橋市を例にしますが、私が30歳代の頃から全国の私立幼稚園団体の活動をして、文部科学省、厚生労働省との協議の情報や法令制定、改正、新設補助金制度を船橋市の担当者に持ち帰り情報提供しても「ぽか~ん」状態で、対応ができませんでした。それは、まだまだ地方公共団体の独立、自立の意識が皆無で、国からのマターは基本は県の地方課や担当課経由で回ってこない限り「ダメです」から。と。

 

 何度あったことかと言う感じです。私はこのような経験から、地方分権後の地方公共団体のあり方を「俯瞰して見る」ことをしない限り、スピード感を持った仕事などできないな。と思っておりましたが、他の地域に比べて、人口増が続き、黙って口を開けていても税収が安定し、適当に予算配分さえしていれば、「それで良し」の状態がいまだに続きている限り、執行機関も議会もぬるま湯体質のままだなと思っていたところです。

 

 しかし、さてさて、今般のCOVID-19後の行政運営は生半可な役人根性だけでは乗り越えられないよ。と、言うのが私のここのところの持論です。

 

 ですから、行政機関も議事機関も法令で定められるありとあらゆる手法を使ってでき得る限りのことを全力でやり続けないと乗り切れません。そのためには、議会は議会としてきちんとした仕事をしなければならないのです。