いやいやすみません。
肝心な申し上げたいことが抜けてしまいました。
実は、会議録の作成です。先日も「新型コロナウイルス感染症への対応を検討する政府の専門家会議の議事録」がニュースで話題となっていました。
分けて考えなければならないのが、「議事録として会議のありのままを残す」「記録として残す」「公文書として残す」「即時公開」「一定期間非公開」「会議自体非公開」それぞれの意味合いで、公開非公開から始まって、期間経過後公開とか決めたりするのが大変だと思うんですよね。というのはどうもこの国では、情報公開イコール民主主義みたいな部分があって、なんでも公開すべきだ~という話が全面に出過ぎて、よろしくない傾向にあるような気がします。
この専門家会議の議事録って私は非公開で良いと思うのです。会議も非公開。で、一定期間経過後公開です。
未知の感染症のことを議論する専門家会議の自由な議論を妨げることになる「会議公開」並びに「議事録公開」は百害あって一利なしは明白です。ところが、議事録の存在があるとまさに今のメディアや野党の状態でもわかるように即時公開を求められてしまうのが実際のところです。
「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」をたてに、四の五の言われるんだったら一層のこと不存在が一番面倒がないという話になっちゃうのが公務員の世界です。しかし、昨今は関連法令やガイドラインみたいなものも含めて読み込んでいませんが、会議を行えば記録を残すことが義務付けられているのではないでしょうかね。
まあ、それは置いておいて、地方議会の会議録です。
実は、経験則から書かせていただくのですが、「何を言っているのかわからない」議員ってたくさんいます。文字起こしをして、そのままでは日本語として成立しない。なんて議員は地方議会ではざらです。
議会の本会議録は、法の定めで
第百二十三条 議長は、事務局長又は書記長(書記長を置かない町村においては書記)に書面又は電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られる記録であつて、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。以下この条及び第二百三十四条第五項において同じ。)により会議録を作成させ、並びに会議の次第及び出席議員の氏名を記載させ、又は記録させなければならない。
となっており、記録の作成をするのですが、その作成の仕方に次のような解説本の解説があります。
からです。
二会議録の種類
会議録には会議録原本と配布用会議録の二種類がある。
(一) 会議録原本
1 会議録原本とは、会議の経過をそのまま記録したものであり、この中には秘密会の議事や取り消した発言も記載されている。
2 発言は文章のように論理的でない。例えば主語と述語がつながっていなかったり、年号等に明らかに誤りがあったり、また意味のない「えー」「あー」等があったりする。これらを、そのまま記録すると、正確であるかもしれないが読める文章にならない。このため単純な誤りや意味のない発言は、記録担当職員が削除、整理する。これを修文又は整文というが、これは議長の会議録調製権に含まれていると解されている。このため会議録原本は、発言をそのまま記録したものといわれるが、実際は修文(整文)後の記録である。議員はそのまま記録したのが会議録原本と思っているので、記録担当職員が修文(整文)していることを知ると、会議録の改ざんであると議長に抗議するが、これは話し言葉を文章にした時の問題点(非論理性)を知らないものである。
3 行政実例は、会議録の調製で内容の体裁を整える意味で重複発言を抹消する等について、「発言の内容に修正を加えるべきでない」と述べている(昭和28年6月27日)が、これは趣旨を変えることなく正確に記録することの原則を述べたもので、修文(整文)までを否定したものと解すべきでない
4 会議録原本とは、事務局長(書記長)が修文(整文)して作成した会議録案に対し、議長と二人以上の署名議員が署名したものを指す。実際の取扱いをみると、印刷した会議録の 一部を原本とし、それに秘密会の議事や取り消した発言を加筆したものに、議長と署名議員が署名している。
となっており、さらに読み進めると「整文」という言葉が出てきます。
そこも次のブログで引用させていただきましょう。
私は、この会議録の解説にもあります「議長の会議録調製権」で調製可能な範囲は限定的であると解しています。
例示として「意味のない「『えー』『あー』等」という記述がありますが、さて、ここで「意味のない」ということは誰が判断するかと申しますと、議会事務局職員が判断し、議長の決裁と署名議員の署名によって議会事務局職員の責任は免責されるという体裁をとります。
私は、その瞬間、言ってみれば、発言者が発するその瞬間の状況を表しているかもしれない「えー」であり「あー」である可能性は否定できないと思っているのです。
わかりやすくするために、前回ご紹介した今回のブログのきっかけになった本のご紹介と、帯にある問題を考えてみましょう。
問題
「佐藤君と友達の鈴木君が僕の家に遊びにきた。」僕の家に来たのは何人?わかりやすく直してください。
というものです。この文を議員がそのまま読み上げたとします。議場や傍聴席あるいは中継を見ている人は、
佐藤君と友達の、鈴木君が僕の家に遊びにきた。(鈴木君一人が遊びに来た。)
と解釈する人と、
佐藤君と、友達の鈴木君が、(二人で)僕の家に遊びにきた。
と解釈する人がいるのです。
それは、その場で聞いている人が、発音、高低、抑揚など様々な要素で判断できる可能性がありますが、文字だけになるとこのような要素が出てきて、句読点の置き場によって解釈が違ってくるのです。
この本では「校閲」の範疇に入れるようなのですが、会議録の解説本では前後の関係も考慮しながら、句読点を追加し、「整文」の範疇に入れる感じです。
それで良いのか?です。
いくつかの捉え方があります。と同時に、シリーズの最初で書きました、政治家が絡まない、政府等の会議においての議事録ではその残す意味合いも記録の意味合いも微妙に違ってくるので、考え方を「異」にするものだと思いますが、「政治の世界」の議事録である会議録は、その「色合い」の再現が重要なものとなるのではないだろうかというのが私の考え方です。
長くなりましたので、続きは次回に。