さて、父の後援会長の新聞記事に飛んでしまって、肝心な録り溜まった番組としてみた、「BS1スペシャル 「独占告白 渡辺恒雄 ~戦後政治はこうして作られた 昭和編」ですが、読売新聞社の代表取締役主筆って役職なんですね。

 

 素晴らしいお話を聞けた感じがしました。

 

 政治とはこういうものだと。いくつか、そうだよなあ~って思うことがありました。でも忘れちゃいましたので、もう一度メモを取りながら見てみたいと思います。

 

 そんな中で、なにか感じたことがあったのでしょう。西山さんの記事探しと共に、武士道の本を本棚から引っ張り出して読み直している自分がいました。

 

 どうも渡辺恒雄主筆のおっしゃっていることと、昨今のCOVID-19問題に関する世相と、なにか関連してひっかるものがあったんだと思います。

 

 思い出せないんですけど、ブログに書きたいなと思って、読み始め、そしてメモにしたのが次の部分です。

 

 ちなみに私が読んでいる武士道は、奈良本辰也 訳・解説 三笠書房 のものです。

 

 

第四章「勇」−−−いかにして吐を練磨するか

 「義をみてせざるは勇なきなり」

 勇気は、義によって発動されるのでなければ、徳行の中に数えられる価値はないとされた。

 孔子は『論語』の中で、彼がつねづね用いているように、否定によって命題をあきらかにする方法で勇気を定義づけている。すなわち「義をみてせざるは勇なきなり」と。

 この格言を肯定的にいいなおすと「勇気とは正しいことをすることである」となる。あらゆる種類の危険を冒し、生命を賭して死地に臨むこと−−−これはしばしば勇猛と同一視され、武器をもつことを職業とする者にあっては、そのような向う見ずの行為が不当に賞讃されている。シェイクスピアはそれを「勇猛の私生児」となづけた。

 しかし、武士道の教えるところはこれと異なる。死に値しないことのために死ぬことは「犬死」とされた。水戸義公は述べている。

 「一命を軽んずるは士の職分なれば、さして珍しからざる事にて候、血気の勇は盗賊も之を致すものなり。侍の侍たる所以は其場所を引退いて忠節に成る事もあり。其場所にて討死して忠節に成る事もあり。之を死すべき時に死し、生くべき時に生くといふなり」と。

 しかし彼は「人が恐れるべきことと、恐れるべきでないことの区別」こそ勇気である、と定義したプラトンの名をきいたはずはなかった。西洋で説かれていた道徳的勇気と肉体的勇気の区別は、私たち日本人にあっても昔から広く認められていたのである。

 サムライの若者で「大義の勇」と「匹夫の勇」の区別を教わらなかった者があろうか。勇猛、忍耐、勇敢、豪胆、勇気−−−これらはもっとも容易に少年の魂に訴え、その実践と手本を示すことによって彼らを訓練できる資質である。それらは少年たちの間で幼いときから競われている、もっとも人気のある徳であった。

軍物語は少年たちが母親の乳房を離れる前から幾度となく聞かされた。幼な子が痛さに耐えかねて泣くと、その母は「これくらいの痛さで泣くとは何という臆病者ですか。いくさで腕を切り落とされたらどうするのです。切腹を命じられたらどうするのです」と子を叱る。

 歌舞伎の『先代萩』の中で、まだいたいけな幼君のために忍耐を強いる感動的な物語は、私たち日本人がよく知っている物語である。その情景はこうだ。  〈籠に寄りくる親鳥の、餌ばみをすれば、小雀の嘴さし寄するありさまに〉鶴千代「アレアレ 雀の親が子に何やら食はしをる。おれもあのやうに早う飯がたべたいわい」政岡「小鳥を羨む御心根、オオ道理ぢや」と言ひたさをまぎらす声もふるはれて「わしの息子の千松が千松が。エエコレ千松何を泣顔する事が有るものか。小さうても侍ぢやコレ」

 忍耐の精神と勇敢さの逸話はおとぎ話の中にもたくさんある。しかし、この種の話が幼少期に勇猛心と豪胆さを浸みこませる唯一の手段とは限らない。     

 親は、時には残酷とみまがう苛烈な手段で子弟たちの胆力を錬磨した。彼らは「熊はその児を千仭の谷に突き落とす」といった。武士の子息は危険きわまる谷間へ突き落とされ、シジフォスのような苦役に駆り立てられた。

 時には食物を与えられなかったり、寒気に肉体をさらさせたりすることは忍耐に慣れるための大変効果的な試練と考えられた。年端のいかぬ少年がまったく面識のない人のところへことづてを託されて行かされたり、日の出前に起こされて、朝食前に冬の寒気の中を素足で師匠のもとへ通い、素読の稽古を受けさせられることもあった。

 また少年たちはしばしば−−−月に一、二度学問の神の祭日などに−−−少人数で集まり、徹夜で声高く輪読する。

 処刑場、墓場、幽霊屋敷など、あらゆる種類の薄気味悪い場所をめぐることも彼らにとってはたのしみなひとときであった。

 斬首が公衆の面前で行われていた時代には、幼い少年たちはその恐ろしい光景を見に行かされた。またあるいは暗闇の中を一人でそこへ行き、その証拠にさらし首に自分の印をつけてくるように命じられた。

この超スパルタ式の「胆を練る」方式は、現代の教育者には恐怖と懐疑心をいだかせるかもしれない。すなわち、心優しい感情を若芽のうちにつんでしまい、心を残忍にしてしまわないか、という疑問を起こさせるかも知れない。

 私たちは次章で、勇気に関して武士道が他にどんな概念をもっているかを明らかにしよう。