多くの皆様もやっていらっしゃると思いますが、録り溜まってしまったテレビ番組の消化をしています。

 

 そんな中、ちょっと気になって録画を見ながらいろいろとあちこちに頭が動き、思わず多動になってしまいました。

 

 まず見た番組は、

 

 BS1スペシャル 「独占告白 渡辺恒雄 ~戦後政治はこうして作られた 昭和編」

 

 です。

 

 まず、父の後援会長だった方が同じ時代に毎日新聞の政治記者。

 

 で、ネット検索を。

 

 いくつかヒットしました。

 

 よく父から聞いていたのは、保守合同の話。大野伴睦先生と三木武吉先生を取りもったのが西山さんなんだよ。と。そして、大野伴睦先生からいただいたという懐中時計を見せてもらった。という話でした。大野先生の名前の刻印されたか、贈呈の文字が入ったかの話だった記憶があります。

 

 さらには、特ダネをいっぱい書いた記者さんだったんだよ。と。

 

 以下の記事になっていました。

 

 毎日新聞の記事です。(1997年5月3日 11時39分)

 西山柳造氏インタビュー(左をクリックしてください。)

 

リークはなかった−−GHQ干渉誘う「絶妙のタイミングは偶然」

「松本委」事務局の資料、社で手分けして写す

 

 −−憲法改正草案の入手先は「松本委員会の事務局」と「政治記者OB会報」に書いておられますね。

 

 「当時、首相官邸、枢密院、宮内省と三つ担当してて、とにかく松本案をスクープしようと狙ってたわけです」

 

 −−委員会の事務局は、どこにあったんですか。

 

 「首相官邸ですよ」

 

 −−今の2階の内閣参事官室のあたりですか。

 

 「いや、下(1階。正面玄関のフロア。現在の官邸事務所付近)なんだよ」

 

 −−1月31日に、事務局員に見せてもらった?

 

 「事務局に資料があったから、もらった。すぐに社に帰り、デスク以下全員で手分けして写してね。2時間くらいかかった。それで、また官邸に返したわけ」

 

 −−松本委員会の中心だった宮沢俊義東大教授の弟が毎日の記者だったので、そのルートから漏えいしたという説もありました。

 

 「それは違います。彼は政治部じゃなかった」

 

 −−当時の事務局員で今も健在の方はいますか。

 

 「いや、全部亡くなった。50年たったからね」

 

 −−そろそろいいだろうという判断で寄稿されたわけですね。

 

 「いまごろになりゃあ大丈夫だろうと思った。その前に書いちゃっちゃいかんからね」

 

 −−西山さんのニュースソースは?

 

 「ああ、もうこの世の人じゃないワ」

 

 −−だれですか。

 

 「そりゃ言えない。(遺族や関係者に)迷惑かけちゃうもの」

 

 −−吉田茂外相(当時)がGHQ主導への転換を狙ってリークしたという説もありましたね。

 

 「そりゃ全然関係ないんだよ。ぼくは13日(46年2月13日。GHQのホイットニー准将らが麻布の外相官邸を訪れ、吉田外相、松本烝治国務相らにGHQの憲法草案を提示した)、外相官邸に行ってたんだから。外国人はみんな庭に出て涼んでてね。吉田さんたちはその間に(GHQ案を)見たんだよ。あわててたよ。『象徴天皇』っていうのを見て、もう顔色なしだったんだよ。あらかじめ知ってたどころの話じゃない。ぼくは、それをじかに見たんだもの」

 

 −−西山さんなり、当時の毎日新聞の編集幹部に、松本試案を葬ろうという思惑があったという観測もあります。

 

 「それはない。特ダネをとりたいという素朴な気持ちだけだよ。社としてもそうだったね」

 

 −−マッカーサーの干渉を誘うタイミングとして絶妙だったというのが専門家の見方ですが。

 

 「偶然だよ」

 

 −−大スクープを回顧して最も印象深いことは?

 

 「やっぱり幣原(喜重郎)さんの大功績ということですよ。マッカーサーと交渉して天皇の人間宣言と憲法をまとめ、戦後日本の基礎をつくった。人間宣言がなければ天皇制はなかったね。連合国の中には天皇の死刑を求めた国もあったんですから。結局、幣原さんは、国民と天皇一体の憲法をつくったと思うんだよ。純粋無垢(むく)な人でしたね。政治において、純粋さというものがいかに大事かということを見せてくれた」

 

 −−吉田政治が高い評価を受けているのに比べると、幣原さんの業績には国民の目が向いていませんね。

 

 「今どきは新聞記者も評論家も不勉強だからね」

 

 −−実際に接してみて、幣原さんは、どんな方でしたか。

 

 「接触なんかできなかったんだよ。新聞記者を絶対に寄せつけなかった。まあ、雲の上だ」

 

 −−男爵でしたね。

 

 「貴族だからというより、新聞記者嫌いだったね。外相出身だから、機密保護という考えが強かったんでしょう。まして、あの時代、マッカーサーとの話を記者に漏らしたりしたら大変なことだもの」

 

 −−それじゃ記者たちに憎まれたでしょう。

 

 「憎まれてないけど、近付きがたいんだよ」

 

 −−その幣原さんの憲法の中で後世、最大の論点となった9条の改正問題について、どう考えますか。

 

 「ぼくは、このままでいいと思うね。そりゃ日本が外国から侵略されるとかいうなら別だけど、今、そういう状況ですかね。こちらからコトを荒立てる必要があるのか。やっぱり幣原さんの理想論でいいんじゃないかな。第一、改正するなんていったら世論が分裂して大変でしょう」

 

西山柳造氏 1916年東京生まれ。東北帝大法学部を卒業して42年毎日新聞社入社。政治部に配属され、東条内閣の官邸を取材。43年兵役。45年砲兵少尉で敗戦。復員後、再び政治記者として活動。憲法草案スクープのほか、51年にはダレス(米政府特使)・鳩山(一郎)の極秘会談を特報。71年退社。81歳。