東京高等検察庁の検事長の勤務が延長される件で少々賑やかですが、インターネットの情報の中で、おもしろい記述がありました。

 

 「これ」って思って、コピペをしたのですが、すみません出典をメモり忘れちゃいました。

 

 「法改正時に述べた解釈を勝手に変更するのでは、国会審議の意味がなくなる。決して放置できない事態。」

 

 しかるべき有識者の方だったのは間違いないのですが、本当にごめんなさい、記憶に残っていません。思い出したり、再度記事に巡り会えたら記載させていただきます。

 

 なぜ興味深いかですが、議会での一般質問に関する研修でお話をさせていただく機会を何度かいただいておりますが、次回に向けて準備をしている中で、先般、山梨学院大学の江藤先生にお会いした際に伺ったお話を軸に組み立てようかと思っていた矢先に、この言葉を見つけました。

 

 予てから、私がこだわっていたことをまさに書かれていたので、改めて説明をさせていただきましょう。

 

 船橋市議会における「質疑・質問」における質問側の議員側も答弁側の執行機関側もどちらもこの言葉を重く受け止めていただきたいものだと思いましたし、各地方議会の関係者の皆さんにも肝に命じていただきたいものです。

 

 上記の記述を地方議会に置き換えると、

 

 「条例改正時(議案提案時)に述べた解釈を勝手に変更するのでは、議会審議の意味がなくなる。決して放置できない事態。」

 

 となります。国の場合は、まだこれらを日常的には追いかけ、厳格運用をし、常に監視状態にあるようなものですから、あまり心配はありません。だからこそ、今回こうやって問題視されているのかもしれませんが、少なくとも、船橋市議会においては違います。

 

 私が、初当選してきたころは、少なくとも執行機関側は過去の議会答弁を引用しながら、当該答弁との整合を保っておりましたが、いつのまにか、その場の行き当たりばったりというか、その場しのぎの勝手な解釈を述べその場をしのぐというやり方が定着をしてしまいました。

 

 それは、議会側もまったく過去の答弁チェックをせず、自分勝手な理屈で答弁を強要したり、曖昧に濁させて自分の考えに近い答弁に近いものを求めるようになって、出来レースをするようになっているからです。

 

 過去の議会の審議や真剣で真摯な話し合いも無視し、その場限りの議会ごっこに精を出す議会と執行機関の姿があるのです。

 

 私は、今一般質問のあり方はどうあるべきかを改めて考え直しているところですが、軸になるのは議案質疑ではないかと思い始めています。

 

 議案審査を行うための質疑と委員会における審査をし、議決に持っていきますが、多くの議会の議員が審査時間の短縮を目指し、真摯な審査をしないで「可決」させる議会において、反対をしようが継続審査を求めようがそれらの意思を無視されて議案が通ってしまう議会の存在をもはや容認する以外なく、その後を一般質問の機会とリンクさせることが肝要ではないかと考えるようになってきました。

 

 次回の研修会の講師を務めさせていただくときは、基本事項、基礎的事項をお話ししたあとに、そのサイクルについて説明をしてみたいと思います。