このシリーズを書き始め、これだけだったかな?となんとなく思い出して来て、実際の製本したものを引っ張り出して来て、再度チェックしたらブログでは途中で終わっていたようです。

 

 平成13年4月14日発行でみなさまにお配りしたものを、ここに再度掲載させていただきます。

 

 縦書きのものを、OCRでデジタル化し横書きにしました変換違いがあったらご指摘くださいませ。

 

父から子へ託す街づくり

 

父の後を継いで私の街づくりプラン

                長谷川 大

 

 このたびの父の勲四等瑞宝章の受章に際しまして多くの皆様方のご配慮に感謝申し上げます。

 さて、父の受章理由の大きな部分である地方自治への取り組みについて、父がご報告をさせていただきました。ここからは、私が、父の足跡を今一度見つめ直して、それをどの様にして発展させていきたいかを述べさせていただきます。

 

 私が、小学校二年の四月に父が初当選しました。それから地元をはじめ市内の多くの皆様に支えていただき、七期連続当選させていただきました。

 

 そもそも、自衛隊内で営んでいた商売と白宅でやっていた商売とですいぶん忙しかったのでしょう。僕は誰がなんと言おうと、おじいちゃんっこです。とにかく休みのたびに祖父とどこかへ行っていたか、買い物をしていたかでした。父はというととにかく忙しく走り回っていました。俺が面倒見られないからと、勉強のために家庭教師の先生をつけてくれたのは小学校三年生でした。どうもそれ以降、教育費はずいぶんとつぎ込んでくれました。家庭教師、東京都内の進学塾、私立中学受験失敗、高校進学のための塾、大学進学のための予備校、大学は現役合格でしたが成績の都合で人様よりずいぶん後まで授業料を払ってもらいました。

 

 中学三年生のころ映画が好きで一人で見に行くことがよくありました。ある時父が、よけいに小遣いをくれました。言葉を覚えていませんが、勝手に女の子と行くと解釈した上で、女性に払わせるようなみっともないことはしないようにと意昧合いに受け取った記憶があります。このことにあるように、こと女性関係についてはなぜかずいぶん小さいうちから、寛容だったというか、こだわりを持っていたようです。こだわりとは、とにかく自由にという感じでした。あとは、前述したように、育てていただいたという感じは少ない気がします。とにかく忙しかったです。夜遅く帰ってきて、遅くまで寝てる、と言うパターンでした。

 

 しかし、政治の話に関しては、どうもかなり早い時期から教え込まれたというか、洗脳された、そんな気がします。顔をみると政治の話を聞かされていたのかもしれません。

 

 これからの船橋市を私になりに考えさせていただくわけですが、現行法令に合致しないものもたくさんありますし、現実離れしているものもあります。でも、いまの日本は、常識や慣例、慣行或いは法令による様々な規制、お役人様独特の発想等によって一つの枠の中に納まりすぎて、身動きがとれなくなっていると思います。このまま、人生の最後まで、船橋という街に関わっていく者として述べさせていただきます。笑っていただいて結構ですし、お怒りになる方もいらっしゃるかもしれません。でも、現状を打破するためにはやはり、痛みを伴うものになるのは仕方がないことでもあると思います。もちろん、その痛みを最小限にしていくのが政治のつとめだと思います。

 

街を考える

 

 大学生の時、初めて船橋を離れました。というと大げさですが、船橋以外の街を成人の目でみる機会としては初めてでした。もちろん、小学校や中学校の遠足や修学旅行もありました。しかし、街をみるというのはやはり大学入学以降だと思います。

 

 国の内外を問わず、公私を問わずと言うことになると、かなりの街を訪ねました。先進国の街、途上国の街、暑い街、寒い街etc.。

 

 そして、今、市議会議員として仕事をさせていただいてから六年。街をじっくり考えたいという思いが大変強くなってきました。いままで、街づくりなんていわれてもピンときませんでした。

 

 仕事を通して様々なケースにぶつかりました。仕事を通して様々なことを考えさせられました。そして、でた結論は、「街づくりをじっくり考えないと何も始まらない。」ということでした。

 

 会社員時代、ショッピングセンターやホテルという商業施設の開発に関わりました。「人がどう歩き、どういう行動をとるか。」もっと細かくすると、「お客様はどこから入って、どこへ行くか、何をするか。従業員はどこから入って、どこへ行くか、お客様との接点は、お客様と会わないようにするには。荷物はどこから入って、どこへ運ぶか、何を使って上下移動をするか、お客様に迷惑にならない荷物の移動は。荷物の置き場は、ゴミの置き場は。ゴミの処理は、ゴミの運搬は。非常時の避難通路は、非常時のための法令は」等々様々な観点から、小さな街を考えたのでした。

 

 いま、この船橋はどうでしょうか?残念ながら、決して良い街づくりができているとは思えません。現時点での反省点は、街づくりのグランドデザインがない。行政が本気で街づくりに取り組んでいない、と書くと語弊がありますが、長期のスパンで都市計画、街づくりを真剣に考えているとは言えないのではと思います。これは、役人の限界なのかそれともトップにやる気がないのかということでしょう。船橋と言う街が生きるも死ぬもここから始まるのですから。

 

 熱病にうなされたように、福祉福祉と言う昨今ですが、高齢者福祉にのみのめり込んでいく風潮はいただけません。選挙対策?自分の子育ての間違いから、子どもに面倒を見てもらえない?etc.

 

少々言い過ぎかもしれませんが、戦後のおかしな教育、団塊の世代の皆さんあたりからの価値観の変化、何に関しても耳年増の変な世の中になり、マスコミ主導の、真実がどこかへ行ってしまっている現実。

 残念です。

 この部分は議論を要するところですので、この辺にしておきます。

 さて、船橋を元気にしたいとの気持ちから、私の考える将来の船橋市について述べさせていただきます。

 まず、街を創ること。これは、本当に大切なことです。

 日本人の得意な物まね的発想から。

 船橋マンハッタン計画

 なぜ船橋市には超高層ビルがないのでしょうか?

 あってもいいのでは?需要がない?場所がない?

 場所がないのかな~。ありますよ。船橋市浜町から若松にかけて。空き地はありませんが、可能性のある土地はいっぱいありますよ。

 何がネックだろうか?

 ザウス、若松団地、オートレース、船橋競馬場、ららぽ~と?

 ネックだろうか?

 全部あわせての敷地面積は?

 

 オートレースは、その役割を終えています。公営ギャンブルが、地方自治体の財政に寄与し、有効だったのは昔の話です。今は様々な手法で財政運営を行えるようになり、公営ギャンブルによる収入は数多くある手段の中の一つにすぎません。しかも、人気は下降線をたどり、もはや風前の灯火。船橋オートに限って言えば、ここ数年で、市の一般会計予算から赤字補填をしなければならない状況になりつつあります。それでも、市は、再建に向けてがんばるようです。私は無理だと思っていますし、市議のつとめとして廃止を関係者に言っておりますが、なかな

か………なかなか………。

 

 オートレースを廃止すれば、まず土地が空きます。もともと、土地は三井不動産・ららぽ~とグループのものですが、ネックだったのはオートレースだったわけで、一気に動ける可能性が大きいわけです。ザウス、オートレースの部分が空いたらすごい土地が出現するわけです。その隣は、そうです。ららぽ~との駐車場です。反対の隣は、若松団地。建設から何年経過したのでしょうか?そろそろ建て替えの時期では?前原の公団住宅が建て替えになりました。次々に予定が言われています。そして、南船橋駅前に県企業庁の土地が何もされずに残っています。ここまで書いてきた場所は、JR南船橋駅から徒歩圏内です。東京駅から三十分。こんなすばらしい立地条件の広大な土地を眠らせていてよろしいのですか?

 

 競馬場も最近はどうでしょう?中央競馬は良いのですが、地方競馬は今ひとつの人気です。オートのようにここ数年で赤字補填は無いようですが、決して安心していられません。そして、オートも競馬も船橋市民の何パーセントが利用しているのでしょうか?船橋競馬場も広い敷地面積ですね…………

 

 そしてららぽ~と。これらすべてを一体的に考えての街づくり。これからの船橋市にとって最初で最後のすばらしいポテンシャルをもった、有望な地域です。

 

 マンハッタンとは大げさですが、身近で言えば香港をイメージしていただけば良いのかなって思います。

 香港は香港島と九龍半島との間が海。

 船橋はららぽ~と側、浜町と湊町との間が海。

 湊町、栄町の方は工業地帯。時代は変化しました。工場の撤退もあります。撤退したい会社もあります。残念ながら工場地帯だったため公共交通機関が手薄です。

 南船橋駅を中心に、新しい街づくりを考えたとき、すべて、超高層で土地の有効利用を考えて行くべきであると考えます。もちろん住居とオフィスビルは別に考えなければならないかもしれません。しかし、あえて私は超高層ビルの中に、住居部分、オフィス部分、商業部分などあっても良いのではと思います。香港にはこの形態が多いようです。

 

 さて、私は作れば良いというのではありません。街を活性化させるための誘導がなければならないと思います。駅を利用する必要のある人、すなわち東京などへの通勤をする人たち。三十分の乗車時間は魅力です。住んでもらいましょう。条件を付けて。子どもがいること。子育てが終わったら、市内のどこかへ引っ越していただく。そのためには、家賃が安価でなければいけません。そうです。子育て世代が、生活しやすい環境を作ることです。若い世代の家族が住まうことで街に活気がでます。活力がある街になります。公営住宅として、子育て専用住宅をたくさん建設して供給すればよいのです。その子供たちが、船橋をふるさとと思い、一生住み続けたいと思える街にすればよいのです。超高層マンションって、若い人たちのあこがれみたいなところがあります。まして、海が見える。ステキですね。そんなところで子育て。近くには、親水公園、帰りにお買い物。あとは何が必要?お医者様。小児科のお医者様。市が施設を用意して無償で提供して経営はご白分でということで、小児科の先生に開業していただけばいかがでしょう?できれば、小児歯科の先生も含めて、複数人。その代わり、二十四時間で必ず対応していただく。その対象の患者さんは、市内全域。