若者たちが諦めて、収束に向かうのかと思っていたのですが、そうでは無いようですね。

 

 例の条例案の改正延期というか、収束させる作業で収束すると思っていたのですが、中華人民共和国政府の恐ろしさを知らない世代になっているのですかね。まあ、知らない世代ですよね。

 

 私が、中華人民共和国に仕事で駐在して生活をしていたのが1985年から。

 

 当時は、「文化大革命」の傷跡が残るというか、まだ、しっかりその経験に基づいて、生活があるという状況でした。生の声で聞くことができた当時のこと。それはそれは、壮絶?凄惨?なものでした。

 

 ネット上で検索をしてみましょう。

 

 「嘘」と「洗脳」で突き進んだ文化大革命の真実

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 文化大革命の嵐の中で、命がけで孫に論語を教えた祖父の話

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 これらでも、実際の人民の生活中での「文化大革命」は、知ることは困難です。私が聞いた限りでは、それはそれは恐ろしいものでした。それでも、まだ私がいた頃の中国は、まだまだ人民の生活は貧しく、海外へ国を捨てて出て行くことはできませんでした。

 

 なぜ海外へと唐突に書くかというと、当時も今も私は、このトラウマというか常に怯えて暮らす生活から逃れるには、海外へ逃げるしかないというのが結論です。

 

 「バスの車内、簡易トイレで排泄行為」の是非で激論発生

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 昨日こんな記事をインターネット上で見かけました。

 

 実は、私が住んでいた当時も、今も中華人民共和国人民の道徳心というのは、多くの人民の生活が豊かになった現在でも、海外等に出たことのある人民、あるいは、都会での生活を良くしようと考える人民と、都市部に住む一般の人民と、農村から出たことのない人民とでは、普通の教育レベルの差があることが一つ。また道徳心の涵養などは過去から現在までまったくありません。確定的には申しませんが、私は先ほど述べた文化大革命によって、「一般的日本人が考えるような道徳心」は微塵もないほど破壊されたと思っております。

 

 で、戻りますが、この文化大革命によって、この国の恐ろしさをまざまざと思い出させると申しましょうか、中華人民共和国という国の、いや、国の中の指導層の中に綿綿と残る、人権無視というか、残虐性というか、人の命を尊いものと考えないというか、いわば「死生観の相違」とでもいうのでしょか?おおよそ、先進国で考える「人の命」とは対極にある考え方の一定数の指導層がいることは紛れもない事実だと思います。

 

 そして、この一定数の分母は日本の人口や先進国の人口には遠く及ばない数です。

 

 新聞記事にもあります避暑地北戴河の会議。

 

 北戴河会議終了か 香港問題で対処方針確認

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 私が住んでいた時代にもあった北戴河の会議。重要事項の決定はここで行われると言われておりますが、ここの会議に出る人数は限られた人数。としたら、先ほど書いた「一定数」の「人命軽視派」が多ければ、あるいは強ければ、どういう結論になるでしょう。

 

 私が住んでいた時、交通マナーが悪く、交通事故死に繋がったらどうするんだと聞いた時に、日本円で20万円払えばすみますから。と言われた時には、絶句しました。

 

 そういう、人権意識、「人の命」に対する考え方の国で、14億人近くいる人々のうち例えば数百人、数千人の命の重みとは、違う視点で語る指導層がいることは間違いないと思います。

 

 そして、私がまだその中国の仕事に深く関わっている時に起きた天安門事件。あの事件の全容はいまだに、そして永遠に世界の人々の目に触れるような状況にはならないと思いますが、とてつもない想像を絶する状況だったと思います。

 

 もちろんあの国では、一部の不満分子の起こした国家転覆のための事件であろうと思います。そういう「片付け方」ができてしまう国なのです。

 

 私も中国の仕事を離れてからも、それなりのウォッチをしながら、友人知人の話も聞いていましたが、私が住んでいた頃から劇的に変化したことはありません。もちろん経済発展は著しい変化ですが、その裏側にある気になる部分は聞いてみるとなんら変わりはないのです。

 

 「何ら変わりのない」体制、人々の意識、知識、教育は、私がいた頃に比べて、経済的に恐るべき発展があったことだけを加味して考えれば良いだけのようです。直近で中国の友人から聞いた話でも、その感覚で中国を見ておけば間違いないなという感じです。

 

 だとすると、香港の若者たちの行動は、ここ数日のものはいただけないな。と思います。どうもここ数日は「意識の高まりを背景に社会各層でデモが広がりをみせている。」という記事もあります。

 

 しかし、そうなんでしょうか?

 

 私は、以前にもここで書かせていただきましたが、いくつかのターニングポイントがあったのが香港です。

 

 私の経験から申し上げれば、一つは「天安門事件」、もう一つは「香港返還」です。この時までに、なんらかの措置をできなかった香港の住民は、中華人民共和国の国民として、その体制に移行していく過程で新たな国の体制を受け入れるか、経済的に頑張って、他の国へ出ていくか、海外へ出ていける職に就くか、外国人と結婚するかなどしない限り、デモを行ったり反対を声高に叫んでも、着々と50年間で中華人民共和国の制度に合わせるのですから、その過程にあることを自覚するべきだと思うんです。

 

 僕はもう、この流れは止まらないと思うんです。

 

 ただし、英国領時代からの香港の経済基盤というか、アジアの金融センター機能とか、物流のハブ機能だったり、フリーポートとしての機能だとか、まさに中国経済への入り口の面などは否定し難い事実であり、現実であります。

 

 それを、中華人民共和国の体制に組み込めるのか?となると、返還後50年間で解決できる問題でも無いような気がするんですね。

 

 それでも、あの一党独裁共産主義国家中華人民共和国が「社会主義市場経済」として、世界第2位の経済大国と呼ばれるまでに発展したのも紛れもない事実ですから、国家指導者は「それのどこが気に入らないんだ」という感じでしょう。

 

 そこには「自由」も「民主主義」も必要ないんだ。という感じでしょう。

 

 私は、穏やかな運動をしながら世界に訴えていくことはできても、1997年から進み始めている中華人民共和国化の流れは止まらないと思います。

 

 今、中華人民共和国人民は幸せそうに暮らしているんですよね。

 

 でも一番幸せそうなのは、中華人民共和国以外の国籍を持ち、そのパスポートを使って自由に中華人民共和国に出入りし、ビジネスをしている人たちですね。