随分と炎上状態にあるこの件ですが、私も初期の段階で怒り心頭でありました。しかし、大村知事の吉村知事への「哀れ」発言で、負けを認めたな。という感じで、ネット上の騒ぎを見ておりましたら、本当に哀れな状況になってきました。
8月13日午後2時現在でとうとう、ホームページから協力協賛企業名も削除したようですね。
ついつい、このことも気になって、随分と興味深くネット上のご意見を追ってしまいました。
日韓関係の方が気になってほかのことが手につかなかったのに加えてこの問題が出てきてなんともなあ~という感じです。
さて、この問題で、私が怒り心頭に達したのは、「公費」の投入問題であります。
表現の自由、検閲、などという言葉も飛び交っておりますが、人それぞれの受け止め方によって、その怒りの矛先が違うような感じです。
もちろん昭和天皇の肖像画を燃やし、踏みつける動画の件も許しがたい不敬な行為でありますし、アメリカ国旗を下に敷き、特攻隊員の寄せ書きなどを上部におき、墓を模した作品なども聞こえてくる内容からは許しがたい暴挙だと思います。残念ながら、現場で作品と言われるものを見たわけでもなく、インターネット上で見ることができるものと、読むことができるものとを、読みながらの自分なりの解釈なのですが、どこまでどうなっているのかわかりません。しかし、それらの情報でわかることは、やはり許されるべきものでは無い。と。
そこで、憲法の講義で使った本を読み返してみました。
憲法 第七版
3,456円
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私はこれの第六版を使っています。
表現の自由については175ページから213ページまで記述があります。なんだか難しいので、コメントができないのですが、私自身は、表現の自由は多くの方々おっしゃっているように、公金が入らないところではどうぞご自由に。という感じで考えています。
しかし、どなたかがネット上で書いていらっしゃいますが、文化・芸術を公共がかかわることは非常に難しい側面があると思います。
河村名古屋市長がおっしゃっていましたが、受け取る側の問題でもあると思いますね。
目次の当該部分だけ書き出してみます。
憲法 第六版 芦部信喜 高橋和之補訂 岩波書店
第九章 精神的自由権(表現の自由)
一 表現の自由の意味
1表現の自由の価値
2表現の自由と知る権利
3アクセス権
二 表現の自由の内容
1報道の自由
2性表現・名誉毀損的表現
3営利的言論の自由
三 表現の自由の限界
1ニ重の基準の理論
2事前抑制の理論
3明確性の理論
4「明白かつ現在の危険」の基準
5「より制限的でない他の選びうる手段」の基準
四 集会・結社の自由、通信の秘密
1集会の自由
2集団行動の自由
3結社の自由
4通信の秘密
となっているんです。これらを読むと、概ね、本件をお怒りになり否定的にお話になっていたり記述していらっしゃる方々の理論の基はこういう教科書的憲法論に沿ったものですね。ですから、やはり分が悪いのは完全に主催者側。って感じ。
そして思い出したのが、憲法第89条の条文。
(公の財産の用途制限)
第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
地方公共団体が、これの逃げ道に使うのが、実行委員会方式。まさに今回はそれ。
まあ、ひどいですね。憲法論からなんて私は論じるつもりはありませんが、論じる以前の問題として許しがたい、「軽さ」であり、昨今の世相を反映していると言えなくも無いのですが、こういう「やから」が跋扈して、認めてしまうことがさらなる問題を引き起こすのだと思います。
さらに私が、思わず笑ってしまったのが、相当焦ったんだと思いますが、この「表現の不自由展・その後」実行委員会だかなんだか組織がちゃんとあるんですね。それぞれの部会のような形で。そこへの説明や協議もなく、知事(会長)はその中止を決定したようですね。そりゃまずいっしょ。って感じです。そのメンバーについてもあれこれ言われていますが、それはそれとして、手順として、せめてその委員会に諮って中止の手続きに入るべきだったでしょうね。これ、大村知事の小物ぶりとか小心者ぶりとかなんていうんでしょうかね、あの手の人にありがちな慌てぶりが手に取るようにわかる感じです。
そもそも、あの方の政治的動きはセンスがないというか、本物の政治家ではない振る舞いでいや~な印象しかない人なんでね。
まあ、公金支出をどうするか?は愛知県議会と名古屋市会とで徹底議論をしていただき、国会でも文化庁の部分を徹底的にやっていただくんですね。