憲法と政党 : 国法学資料五篇

 

法学博士 美濃部達吉 著

憲法と政党

国法学資料5編

日本評論社版

 

少々小難しい話で恐縮です。

 

前回の続きです。

 

 唯一の点において政党の立法化の進行が今日まで未だ及んで居らぬものが有る。而もそれは現在に於いて国家生活に於ける政党の勢力の現われる最も顕著なる点で、即ち政党に依る政府の組織及び支配是である。所謂議会的政党政治の事実を暗示的にすらも憲法中に規定して居るものは一も無い。唯オーストリアのみは此の点に於いて注目すべき現象を示して居る。オーストリアの各邦の憲法に依れば唯一つフオラルベルヒの例外を除くの外何れもその内閣員は邦知事又はその代理者の外邦議会が政党の勢力に比例して之を選挙するものとして居る。それは議会政治の見地から言えば頗る奇妙な制度で、即ち反対派である議会の少数派が内閣に代表せられて居って、内閣の責任を分担することとなるのである。オーストリア連邦自身に於いても嘗て1920年に内閣の閣員を連邦議会に於いて比例選挙の方法に依って選挙することの法律を作ったことが有った。しかし此の所謂「比例政府」はその制度を定めた法律と共に間もなく消滅に帰した。それは又異例な特別の政治事情に依って発生したものであったのである。ドイツに於いても嘗て一たび1923年に悪評の有った非常授権法の一として、法律を以て連邦政府に於ける当時の政党の連合が継続する限りといふ條件を以て政府が政党の拘束を受くることを定めたことが有ったが、しかし此の法律も唯一時限りのものであった。此等を外にしては、議会的政党政治の祖国であるイギリスに於いても又はヨーロッパ大陸に於いても、憲法又は法律の中に露骨に政党が国家組織の一要件としてその中心地位を占めることを認めたものは無い。ワイマール憲法の中に「政党」という語を用いて居るのは唯一ヶ所あるが、それは第130条で「官吏ハ全体ノ使用人ニシテ政党ノ使用人ニ非ズ」と曰って居る。それは明に政党国家の思想を否定して居るもので、又それから実際上の価値をも求めることが出来る。何となればその規定から容易に政党関係に基づいて官吏を任免することの禁止を推論し得るからである。此の規定の文句を君主制の国宝に於いて普通に言はれて居る「官吏は国家の使用人で君主の使用人に非ず」といふ格言と対照するのは興味が無いではない。その君主の使用人に非ずというのは君主を国家機関として見ないで私人として見て居るのであるが、此の意味に於いて君主と国家との同一性が否定せられると同様に、憲法が政党と国家との同一なることを否定して居るのは、政党の組織を以て私のものと為し、即ち政党と政府との同一性を明に否定して居るのである。

 

 政党政治の実際の存在に拘らず斯く公には之を無視して居る態度は、吾々をしてその最後の問題に移らしめる。現代の国家はその政党に対する関係に於いて眞にその第四の段階なる政党国家の時代即ち国家が政党を基礎として成立する時代に入って居るのであらうか。この問題に対し多くは躊躇なく之を肯定して居り、中には一流の国法学の大家も少くない。例えばフリードリヒ・フォン・ヴィーザーは曰く「民主国の本質は国家を政党に引渡すことに在る……政党の憲法は国家憲法の構成要素を為すものである。民主国の憲法が勝利を得た政党に権力を與ふることに依り国の憲法がその政党の憲法に対する訓令の役を為す…」、政党の憲法は国の憲法の「抽象的な規定」を補充して具体的ならしめると。リヒヤルド・トマは曰く、政党は「政党国家的憲法の意義に於いて」その首領の手に政権を帰せしむることの目的を遂行するものであり又遂行すべきものである。「民主国に於ける国家意思は国民の承認又は忍従を基礎とするその時その時の支配権を有する政党の意思である」と。グスターフ・ラードブルッフは曰く「政党は近頃までは楽屋に匿れて居たが、今は国法の舞台に国家の重要なる一機関」として現はれ出でたと。オット・ケルロイターは曰く「ドイツの政党国家は今日は憲法上の真実となった」と。此等の見解は果して正当であるか。

 

 自分の見る所に依れば、此の問題は単純に然り又は然らずと答ふることを得ない。それは他の多くの場合と同様に形式的な法律の見地から見たのと動的な政治的見地から見たのとに依って異なる。

 

 純粋の法律上の観察点から言えば、国家機関といふ観念は、之を漠然たる意味に用いない限りは、或る人又は人の集団でその意思が法律上に国家意思たる效力を有するものを指す意味にのみ理解すべきものである。此の意味に於いては正統派何れの国でも---又は殆ど何れの国でも、少くともドイツに於いては---未だ国家機関たるものではない。強ひて之を国家機関なりと言えば、それは唯選挙の執行手続中に「選挙人団」---それは必ずしも常に政党であることを要するのではないが---として技術的意義の権限(候補者の届出)を與へられて居る限度に於いて言い得るのみである。立法及び政治の範囲即ち国家作用の主要部---今は是のみを問題として居るのであるが---に於いては、政党は憲法外の現象であり、政党の決定は法律の見地から見れば国家組織には属しない拘束力なく権威なき社会的団結の意思の発表である。それであるから若し現代の国家が政党を基礎として組織せられて居ると言うならば、それは法律上には維持し得られない主張である。実際にも法律が中央に於ける国家意思の構成を如何にして政党の如き総ての大衆的集団の中でもその存立、範囲及び性質の最も変転し易い社会的組織に繋がらしめることが出来ようか。それは突然に成立し解散し又はその主義を変更し得るものであり、時としては数十年の内にその名称の外には根底から何者も残らないものも有り、或る国に於いては全然他と比較の出来ない、時としては政治上全く些末に属する事を主義として組織せられることも有り、その本質に於いて利己的の見地に立ち、随って性質上有機的な国家組織の中に入らしむるには不適当であり、その或るものは国家そのものを否定するものすらあり、その最も主要な活動は相互の闘争に在るような、此の如き社会的組織の意思に如何にして公式に国家意思を依属せしむることが出来ようか。唯ボルシェヴィズムとファシズムとのみが眞に国家を政党の上に築き上げた。しかしその何れに於いても唯一つの政党が在るだけで、ロベルト・ミッヘルの適当に言い表して居るが如く、それは国家と成った政党、若くは政党と成った国家に外ならぬ。政党が例えばイギリスの古典的の議会政治又はアメリカ合衆国に於ける如く二大政党に固定して居り、而もその政党が階級の区別、世界観の差異、又はその他超えるべからざる反対に依って別れて居るのでない国でも、或は真正の政党国家が思考し得られるだろう。しかし一般に言えば政党国家の思想は解き難い矛盾を含んで居り、少くともドイツに於いては法律上に承認せられて居るものではない。

 

 なかんずく、政党国家は議会制度が制定法上その制度の発生の起源を為した思想を捨てない限り法律上思考し得られないものである。立法者は今日に於いても尚厳格に自由主義の理論即ち議会の意思が自由意思を以て独立に表決する人々に依って作られることの理論を固守して居る。是は決して虚しい「虚辞」ではなく、又拘束力の無い文言でもない。それは憲法制定者の真面目な命令である。成文法が斯かる思想から脱却しない限り政党国家は法律上の合法性を得る由も無い。

 

 しかし制定法の画いて居る図面が政治生活の実際と総ての点に於いて一致するものと考へるならば、それは全く盲目の沙汰である。国の政治が政党に引き渡されて居ることは現然たる事実で、政府の首脳を定め、閣僚を構成し、内閣を支持し、之を監視し、之を操り、之を倒すものは政党であり、政党の本部に於いて大制作が決せられ、法律の制定に関する決断が下される。政党は又次第に益々多く行政の上に勢力を及ぼし、事に官吏の任免がその勢力の下に左右せられる。勿論、その程度は国に依ってさまざまであって、行政組織の異同、選挙に依り就任する官吏の多少、歴史的伝統の強弱、此等及びその他の原因は国に依って甚だ異なった現象を呈せしむるけれども、若し観察をドイツのみに限るならば、吾々は此処にも政党国家は事実となって居ることを看過することは出来ぬ。それは政府に於いても、行政に於いても現はれて居る。市町村の選挙及び社会保険その他に於ける数多の行政吏の選挙に比例選挙法が採用せられたことに依り地方自治及び公共組合の自治すらも政党に引き渡されるに至った。国の行政が如何に政党の勢力の下に在るかは何人も知る所である。是は固より否認し弁解し得ない所である。法律の規定に於いてすら折にふれて殆ど無邪気ともいうべき露骨さを以て之を條文に表はして居るものも有る。例えば1919年10月14日のプロイセンの新上シュレジア州に関する法律には州知事の下に属する評議会の組織に関し「上シュレジアに存する政党組織を考慮して」之を構成すべきことを定めている。