(笑)。ちょっと不愉快なことがありまして、
先日若者と話した時に「長谷川さんが論語をブログに書いていてうれしいっす。」って言われました。
単純に偉い人の受け売りにすぎませんから、あまり私とからめて受け止めないでください。
これ、このとおりだぜ。くらいで引用させてもらっていますから。
で、先日、さんざん俺のことコケにして文句言うくせにお前がやるか?っていうことがあって、たまたま、その前にお会いした方から言われた論語の一節と合致して、帰宅後いただいた本の方の解説を読んだら、どうも噛み合わないのです。いろいろと調べたら、出典が二つのところからとなっていまして、解説本と偉い人から聞かされた解説とちょうど別々だったことが判明しました。
でも、よく引用される部分は共通している言葉でした。
己所不欲。勿施於人。
です。日本語で言われるのは、「己の欲せざるところ、人に施すなかれ」です。
実は僕の場合は、「おまゆう。」状態ですが、頭にきたんですね~。今回ばかりは。
まあ、解説本はこれでした。
己の欲せざるところ、人に施すなかれ(顔淵篇)
この有名な言葉は、弟子の仲弓が「仁とは何ですか」と、孔子に尋ねたときの答えです。
「自分がして欲しくないことは、人にもしない」
他人のことでも自分のことのように考える、ということです。
他の弟子たちからも「仁」について尋ねられていますが、孔子は、弟子たちの性格や学問の習熟度によって、その都度異なった答え方をしています。
たとえば、おしゃべりで軽々しいといわれていた司馬牛には、「言葉を慎む」。少し飲み込みの遅い樊遅には、わかりやすく「人を愛する」。
人の性質や素質、理解力など状況に応じて適切な指導をすることを、応病与薬と言いますが、まさに相手への思いやりの極地であり、孔子ならではの「仁」の在り方です。
応病与薬を実践していたのは、徳川家康です。家康には、個々の特性を生かした家臣団がいました。酒井忠次などの「四天王」は知恵や武勇に優れ、また「三河武士団」は比類ない強さを誇っていました。
豊臣秀吉が晩年、諸大名の前で珍品の宝物を自慢し、家康にどんな宝物を持っているのかと尋ねると、家康は「私は田舎者ゆえ、これといった秘蔵の品はありません。ただ私のためならいつでも命を賭けてくれる家臣が五百騎ほどいます。これが私の宝です」と言っています。
昨年(2016)は、家康没後四百年でした。家康は武家として、武力で社会の安定を目指しました。応仁の乱以降120年以上続いた戦乱の世を憂い、戦のない平和な世の中をつくるという大義のもと、「厭離穢土欣求浄土」を旗印に掲げて、天下人となったのです。
幼少の頃より雪斎和尚に学問を学んだ家康は、論語にも精通していました。ですから、孔子と同様、国家の安定や人々の安寧を願ったのでしょう。
世の歴史家は、信長を天才、秀吉を人間通と呼びますが、では家康はというと、非凡なる平凡人と称します。それは、家康の功績は、謙虚に学んだことを実践して得た結果だからです。学んで実践する非凡さが、家康のすごさといえるでしょう。
家康の非凡さは、論語の「学んで習う」を基本としているのです。
原語
仲弓問仁。子曰。出門如見大賓。使民如承大祭。己所不欲。勿施於人。在邦無怨。在家無怨。仲弓曰。雍雖不敏。請事斯語矣。
顔淵第十二 2 仲弓問仁章
子貢問曰。有一言而可以終身行之者乎。子曰。其恕乎。己所不欲。勿施於人。
衛霊公第十五 23 子貢問曰有一言而可以終身行之者乎章