先日先輩から、本をいただきながら懇談をしました。一度、ブログに使わせていただきましたが、さらに読み進めると再び4月まで会派を共にした、現役議員に伝えたい事が書いてありましたので、、ここに書かせていただきます。

 

 今回も私信で送るか?と考えましたが、他の若い議員さんにもと思い、勉強会メールに入れるかとも思いましたが、今回は「反面教師」として理解していただく必要があるかと。(笑)。

 

 ぜひ、ご意見をいただければと思います。

 

 論語の意訳解説本みたいなものです。著者記述を青色に、長谷川記述を赤色にさせていただきます。

 

知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす。これ知るなり(為政篇)

 

 この語句は禅問答のような言葉ですが、『論語』の中では有名な一章です。「知る」とはどんなことかを教えています。

 

 自分が本当に知っていることを“知っている”とし、まったく知らないことは当然として、中途半端に知っていることも“知らない”と認める。これが知るということだ、と孔子は言うのです。

 

 人に聞いたり本で読んだり、メディアで見たりしたことを“知っている”と思うことはよくあることです。しかし、それは本当に知っていることではなく、見聞きしたことがある、という程度でしかありません。それらを知識として深く身につけ、自分のものとして初めて、知ったつもりではなくなる、ということです。

 

 私が今回お伝えしたいのはここだけです。いつも最も軽蔑する議員の名前をお伝えしていましたが、彼がこれよ。全部の彼の話の話がこれだから、絶対に一言も彼のいうことを信じちゃダメよ。

 

 以前、私の友人がこう言っていました。

 

 「私はもっと勉強しなければと思っています。いろいろな本を読んで、ある程度の知識は得ましたが、まだ人に話せるほどの知識はありません。できれば、勉強したことを子どもたちに伝えたいのです」

 

 何気ない会話の中でしたが、「知る」ということの定義に気づかされた言葉でした。私たちは、少し聞きかじったことでさえ、知ったかぶりをして教えようとします。まして、ある程度勉強したことならばなおさらです。難しいことを子どもにもやさしく教えられるほどになれば、それは習熟したといえるでしょう。

 

 これね大事なことで、役所の職員の中でも専門用語を多用して議員をけむに巻く職員がいますが議員は、住民に対してそれをやっちゃダメ。絶対にダメですから。なんとかcafeで、専門用語などは使わず、資料等に出て来たら、小学生に教えるようなつもりで用語の解説をすることです。

 

 『論語』の他の章にも、「習わざるを伝えしか」という語句があります。自分のものとして完全に身につけていない知識を、他人に教え伝えはしなかったか、と自らを反省する言葉ですが、本項の論語に通じる教えです。

 

 ここは私への戒めでもあるけど、僕はあなたに教えたことは、ちゃんと深く理解していることばかりですからご安心を。わからないときは、「ちょっと自分で調べてごらん。」って言ってたことはあると思うんだけど、それよね。

 

 ところで、この「知らざるを知らずとなす」と、孔子に諭されたのは、勇猛果敢で直情径行の傾向があった子路です。孔子に会う前の子路は、町の荒くれ者でした。秀才でもなく、思慮深くもない彼は、任侠の男で、その場の雰囲気で知ったかぶりをすることがよくあったのでしょう。

 

 しかし孔子は、この子路を大変かわいがっていました。誰よりも勇気と行動力があり、政治力に勝っていた彼は、孔子に対してもずけずけと物を言い、『論語』の中でも、人間的で面白い場面を数多くつくり出しています。『論語』に最も多く登場する弟子なのです。

 

 じゃあ頑張って!!