さて前回、会派について書きました。書くきっかけは、別の市の議員さんからの相談に答える意味でもあります。

 

 まず、このブログでも過去に書かせていただいているように、地方議会は国会の下請けでもなければ、議員も国会議員の下請けではありません。

 

 国政政党がそのイデオロギーを色濃く出して行う政治活動を、地方議会がミニ国会かのように同様に政治活動を行うのはいかがなものかと考えます。

 

 地方分権が進み、地方の自主的運営という言い方が正しいのかどうかわかりませんが、地方公共団体に多くの権限と責任が生じてきてからは、議会の役割は大きく、その存在自体が周辺の環境変化をいたしました。

 

 下記は、総務省の地方分権のWebSiteからです。

 

(1) 国と地方公共団体との役割分担の原則 

地方分権を推進し、国と地方公共団体の新しい関係を確立するため、国と地方公共団体とは、次の原則に従い、役割を分担することを旨とするものとする。 

 

ア 国が担うべき事務

国は、 

(ア) 国際社会における国家としての存立にかかわる事務

(イ) 全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動又は地方自治に関する基本的な準則に関する事務

(ウ) 全国的規模・視点で行われなければならない施策及び事業 

(ナショナルミニマムの維持・達成、全国的規模・視点からの根幹的社会資本整備等に係る基本的な事項に限る。) などを重点的に担う。 

 

イ 地方公共団体の担う事務

地方公共団体は、地域における行政を自主的かつ総合的に広く担う。 

 

(2) 地方公共団体の事務に関する国の役割等 

ア 地方公共団体に関する法令の規定は、地方自治の本旨に適合し、かつ、国と地方公共団体との役割分担の趣旨に沿ったものでなければならない。 

 

イ 地方公共団体に関する法令の規定は、地方自治の本旨及び国と地方公共団体との役割分担の趣旨に基づいて、これを解釈し、及び運用しなければならない。 

 

ウ 法律又はこれに基づく政令により地方公共団体が自治事務を処理することとされる場合においては、国は、地方公共団体が地域の実情に応じて当該事務を処理することができるよう特に配慮しなければならない。 

 

 ということです。

 

 地方は地方でうまくやってよ。っていうのが基本です。

 

 従ってその責任は、めちゃくちゃ大きくなっているのです。地方が自分たちで考え、自分たちの地域に合った、自分たちの優先順位による施策を積極的に進めてね。ってことでしょう。

 

 それらのことによって、執行機関はしっかりと十分に綿密に検討してから提案をして、議会の側もしっかりと十分に綿密に議論をしながら結論を収斂させていき、より良い議決結果を導き出すような努力をしなければなりません。

 

 執行機関側の提案を修正、追加提案などをするために議会は「一丸」と言わないまでも、「足並み揃え」て、議会側が一丸になるくらい協議、調整、妥協を繰り返し、執行機関に対峙すべきだと思うのです。対峙という言葉が適切かどうかわかりませんが、二元代表制というのはそういう部分が大きいと思うのです。

 

 私は、そのためには、国政政党というのは非常に邪魔な存在なのではないかと思うのです。国会議員の下請け選挙マシーンになることが、国政における政策論争などを引きずりながらの、全く関係のない地方公共団体の行政運営のまっとうな議論を歪んだものにするのでは無いかと思うのです。

 

 ある意味自由民主党という政党は、都道府県に対する干渉というか影響力の行使は凄まじいのですが、市区町村になると、ずいぶんゆるゆるなのが伝統のような気がします。

 

 私は自民党籍を持っていますが、窮屈に感じたことは一度もありません。

 

 しかし、日本共産党や公明党を見ていると、国政政党としての活動に忠実でなければならないようです。

 

 その辺を十分に理解して差し上げた上で、議論を進めなければならないのですが、その塩梅は、なかなか難しいような気がしますね。両党ともに、そのバックグランドや支持層を勘案して、どこで折り合うかを考えなければ地方公共団体の独自施策にコミットすることは困難でしょう。

 

 話がだいぶ遠くの方に来てしまいましたが、私は二元代表制の市町村議会においては政党色を出さない形での、政策議論をしたいものですし、それができないと見透かされると、常に、執行機関側が好き放題やりたい放題となってしまうんですね。

 

 ですから、私は、現役の時には日本共産党議員とも会派をくんで良いと公言をしておりました。最も理解できない人には理解できないでしょうけどね。

 

 ただし、会派とはそうまでして維持すべきものなのか?

 

 むしろ中途半端な、同床異夢の定義付の会派制などというものは撤廃すべきでは無いのか?ということも考えておりました。

 

 そもそも会派制は、議長ならびに議会事務局の事務効率化のための制度でしか無いのではないかと思っておるのです。

 

 議会運営に電子化が進み、電子投票制度の高度化が進めば、たかが船橋市議会で言えば50人の意思を瞬時に決着つけることは可能であって、船橋市ではできていませんが「根回し」だって、電子化によるもので、むしろ「聞いてね~よ」はなくなるし、24時間365日いつでも議員にアクセスできるしって考えたら、むしろ会派の存在意義は無くなっていくに決まっていると言っても過言ではありません。

 

 電子デバイスで、資料アクセスなどをうまくコントロールしてログチェックをすれば、議員の議案はじめ、行政事務への理解度だって瞬時にわかるようになるのではないでしょうかね?

 

 としたら執行機関の議員個々への攻め方も戦略的にできるようになるし、いいと思うんですけどねえ~。

 

 これまた遥か彼方へ話が飛んじゃいました。

 

 また書き直しますっ!!